生きづらさをやさしさに変える くにい かつひろ

繊細すぎて苦しかったその生きづらさこそが、人を癒す力になったと感じてます。 くにいかつひろ

世のイクメン諸君へ、、、、自分の本当の声聞いてあげてますか?

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今朝、我が家の庭に来た来訪者の足跡。

 

たぬきかな?キツネかな?

 

夜のうちに、このあたりを動物たちがうごめいている印が、朝まで残っている。

 

なんとも心が豊かになります。

 

子どもたちも、毎朝足跡見つけては「きゃあきゃあ!」うるさく、感動してます。

 

足跡一つで🐾幸せになる子どもたちを見てると、子どもという存在は僕たち大人にとって、とても大事なことを教えてくれている先生だなぁと感じます。

 

何を教えてくれているかというと、

 

今を感じる

 

ということです。

 

 

今でしょ!

って東進ハイスクール林修先生の言葉、流行りましたよね。

2013年の流行語大賞らしいですね。

実はあれ、僕はちょっと苦手でした。

というのも、子どもたちに対して言ってるのだろうけど、「勉強するのは今でしょ!明日に回さないで、今でしょ!」という、、、なんか

ケツ叩き感

が嫌い。

これ流行語になったのって、いろんな場面で使いやすかったのが要因だと思うんです。

掃除やらなきゃな、、、、、

今でしょ。

宿題やらなきゃな、、、、

今でしょ。

学校行きたくないけど、、、、

今でしょ。

仕事どこまでやるかな、、、、、

今でしょ。

もーー

やめていただきたい。

 

この、今でしょ、の活用は、

 

今の感情を見ないようにしてとにかく行動

 

という形です。

 

子どもたちの、「今でしょ 」は、

 

今の感情を感じる

 

ということです。

 

まっ、、、、、、、たく、

 

逆ですね。

 

大人になると、自分が感じている感情というものを

 

驚くほど

 

無視します

 

それは、

 

悲しみの感情に溺れない為

 

とか

 

怒りの感情に振り回されないように

 

するためです。

 

自分の怒りや、悲しさを感じ始めると、それと向き合いたくないから、人を傷つけてしまったり、何もできなくなって動けなくなってしまったり、

 

社会生活に支障をきたす、そんな恐れがあります。

 

他にも、自分の感情を味わうようになると

 

「やっぱり、、、、旦那のことが本気で嫌いだ、、、、離婚するしかない」

 

という、恐ろしい気付きや

 

「この仕事きつすぎる、、、、、会社、辞めるしかない」

 

という、大きな変化が伴う気付きもくっついてきて、

 

かなり不都合な真実に気づいてしまったりしますね

 

他にも

 

向き合いたくない自分と出会ってしまう

 

こともあります。

 

 これ、まさに最近のぼくですね。

 

嫁に自由な時間をたくさんあげよう

だから、仕事以外の時間は子どもたちをできるだけ預かり、

家事もできるだけやり、

嫁に楽しい時間をあげよう。

 

そんなことができる寛容な素晴らしい夫であり、お父さんなんだ、ぼくは、、、、、

 

これ、、、、、、

 

自分のことを良い夫、と思いたいだけでした。

 

心の奥底では

 

自由にしている嫁にイライラしてました。

 

気づかないレベルで我慢してました。

 

嫁がぼくのキモチを全然大事にしてくれてない、ぼくをないがしろにしてると、感じていて、

 

内心

 

無意識化では、

 

嫁を責めてました

 

そんな、ちっさい自分が本当はいました。

 

いたのに、無視してきてしまいました。

 

嫁がぼくのキモチをないがしろにしてたのではなく、

 

ぼくが自分の本当のキモチをないがしろにしてきたのです

 

ギターを弾きたかったら、ギターを弾きたいから子ども見てて、と言えば良かった。

 

サッカー観戦したいなら、そう言えば良かった。

 

前回のワールドカップなんか、日本戦を1試合しか観てない。

 

サッカー好きな自分にはあり得ません。

 

それもこれも、

 

自分は良い夫、と思いたかったから。

嫁にもそうおもってもらいたかったから。

 

これは、ほんっとーーーにダメですね。

 

この根底には、

 

人から嫌われたくない

 

嫌われたら、生きてけない

 

という、ぼくの中にある、大きな大きな刷り込まれた信念があります。

 

人から嫌われないように、反射的に行動し、言葉を発するのです。

 

それを夫婦間にも適用してしまっていました。

 

無意識に。。。

 

 

、、、、、話しをもどします。

 

そうなんです。

 

感情を見てしまうと、

 

出会わないようにしていた自分に出会うことになるのです

 

ぼくの場合は、

 

良い夫と思われたいと思っているちっさい自分。

 

本当は全然寛容ではない自分。

 

これと向き合わなくてはいけません。

 

それは一瞬落ち込むことでもありますし、嫁に話すと、呆れられたりしますが、

 

自分のキモチを見てあげたという結果

 

ほわっとした安心感に包まれました。

 

この感覚、何でしょうね。

 

自分になれた、という安心感。

 

ちっさい自分でも、これが自分なんだ、、、というホッと感。

 

これが必要でした。

 

なので、昨日は、

 

夕食後は、完全に子どもらの入浴、着替え、歯磨き、寝かしつけは完全に任せて、

僕は読みたかった本をたくさん出してきて、4時間ずっと本を読んで、ノートに気づきを書いて、これからやっていきたい勉強会の構想を練ってました。

他にも自分の感情と対話するようなワークを自分で考えてみてノートに書き出して、たくさんの気づきがあって、

 

「あー、、、普通の平日の夜に、こんな充実した時を過ごせるのか、、、」

 

と衝撃を受けました。

 

仕事から帰ったら、反射的に子どもを入浴、寝かしつけ、食器洗い、洗濯、、、、とか、家事育児してたのって、

 

なんか

 

無理してやってたっぽい

 

です。

 

 

、、、、世のイクメン諸君

 

自分の本当の声、、、聞いてあげてますか。

 

良い夫ぶってないですか。

 

自分のキモチ、後回しにしてないですか。

 

自分の本当のキモチ、大切にして、

 

やりたいことやって、自分を満たす時間を作らないと、

 

嫁と子どもを本当に幸せにすることはできないです。

 

下手すると、

 

嫁に嫌われるよ

 

、、、、気をつけなきゃな。

 

今を感じてみる

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夜中の3時

 

ふと目が醒める

 

 

1歳9ヶ月の息子が

 

ぼくの右腕に頭を乗せて

 

なにやら幸せそうに

 

笑顔で寝息を立てている

 

 

次の瞬間

 

ケタケタ、ケタケタ笑い出す

 

どんな楽しい夢を見てるのだろう

 

 

右腕の心地よいしびれが

 

とても幸せに感じる

 

そんなひとときです

 

 

これからどんな人生になるかわからないけど

 

たったいまお父さんは

 

とっても幸せです

役に立たないからこそ、愛したい

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 盲腸、、、切除しましたか?

 

虫垂とも言う臓器ですよね。

 

全く役に立ってない臓器と言われていましたよね。

腸炎になるから、むしろ取ってしまった方が良い臓器、と言われてきたし、そう信じられてきたけど、新しい研究の結果、どうやら盲腸も役に立っていて、むしろ進化した臓器だという説があるようです。

http://www.gizmodo.jp/2017/01/appendix-not-useless.html

 

こちらの記事に書かれていますが、

要約すると、

1、虫垂を持つ哺乳類の方が高い免疫系を備えており、

2、虫垂を切除すると、若干の免疫低下は避けられないとのこと。

  

上の記事は、欧米と南アフリカの研究者の研究ですが、

 

http://ameblo.jp/drkonson/entry-12234823061.html

これを見ると、大阪大学のマウスによる研究でも、実証されているようです。

 

ということは、新しい研究によって、虫垂が

 

実は役に立っている

 

ということが明らかになったようです。

 

 となると、僕ら一般ピーポーの意識としては、

 

「やっぱり役に立たないものはない」

 

とか

 

「むやみに取っちゃいけない」

 

とか、なりますね。

 

 

やっぱり役に立つから

 

という理由で、虫垂という臓器に対する認識が変わっていくでしょう。

 

でも、僕としては、

 

役に立たないと、、、ダメなの?

 

と思ってしまう。

 

役に立つとわかったから意識が変わるって、役に立たないなら、やっぱりいらないということ?

 

役に立つものは、取っておいて、

役に立たないものは、切り取る。

 

この意識。

 

結構拡大すると思っていて、

 

役に立つ友人

役に立たない友人

 

役に立つ取引先

役に立たない取引先

 

という、人間関係や、かかわりある組織を役に立つ役に立たないで判断してしまう意識。

 

これらは、自分とは外側のものですね。

 

それだけでなく、

 

役に立つ性格

役に立たない性格

 

役に立つ感情

役に立たない感情

 

というように自分の性格や感情も

役に立つ、役に立たないで、区別して、

役に立たないものは、

 

忌み、嫌う。

 

そして、

 

その性格や感情を

 

変えようとする

 

コントロールしようとする。

 

コントロールできると思っている。

 

コントロールしなくては、、、と思っている。。。

 

「感情をコントロールする」という言葉って、すごく良く使われますが、

 

僕はこれ、すごく良くない言葉だと思ってます。

 

僕は、

 

感情はコントロールしきれないと思ってます。

 

社会生活を送る上で、感情をある程度制御して、社会に許容される形で表出することは必要なことですが、そこで、なかったことにされてしまった、抑圧された感情というものは、

 

すこーしずつ

 

蓄積します

 

そして、自分でも無意識に、周りの人に当り散らしていたり、やけ食い、ヤケ酒をしたりします。

 

そのうち、蓄積しまくったものが、

 

爆発

 

しますね。

 

これを心理学用語ではアクティングアウトと言ったりします。

 

抱えきれない感情を、様々な行動でアウトプットする、ということです。

 

話しがそれたので、戻します。

 

役に立たない感情ということで、

怒りとか

悲しみとか

寂しさとか

虚しさとか

無力感とか

劣等感とか

恐れとか

諦めとか

嫉妬とか

そういったものも、なかったことにしない方がいいです。

 

それは、感じたことです。

 

感じたことを認めてあげないと、

 

自分に失礼だと思います。

 

それに、いつか暴発します。

 

アクティングアウトは必ずしてます。

 

無意識に。

 

役に立たないとして、自分の感情を切り捨てようとしないで(絶対に切り捨てられません)

自分の一部としてあげたいです。

 

役に立つものだけを集めようとする意識。

 

これは、

 

自分が役に立たないと社会で生きていけない

 

という意識に直結してる気がします。

 

だから、すごく自分の恐怖をあおる意識に繋がってる。

 

物事や人物を役に立つ、役に立たないで、選別するのは、

 

僕はやめたいです。

 

やめたいというからには、自分の中に、役に立つ、役に立たないで選別するモノサシが根強くあることを認識してるからです。

 

そうです。

 

何を隠そう

 

僕が人や自分の感情を役に立つ、役に立たないで選別しがちです。

 

、、、、、、

 

意識して、このモノサシをいつか手放したいですね。

 

虫垂は役に立たない

    ⬇︎

虫垂は役に立つ

    ⬇︎

虫垂は取っておこう

 

というのが、今の医学の流れのようですが、

 

虫垂は役に立たない

     ⬇︎

役に立たないけど、

これこそ自分。これこそ切り離せない自分の一部。

    ⬇︎

だから、虫垂も愛おしい僕の一部

 

 

こういうふうに考えたい。

 

虫垂を感情に変えてみてください。

 

僕の劣等感。

僕の嫉妬心。

僕の空虚感。

僕の無価値感。

 

これこそ、、、、

 

僕の愛すべき、一部です。

人生とはつまるところ、壮大なギャグだ。〜無価値感逃避ゲームはやめよう〜

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イライラすることとか、

 

落ち込むこと。

 

生きてると必ずあると思います。

 

それで、その嫌な感情が生まれる時、

それって、ほぼ確実に、

 

無価値感

 

につながってます。

 

例えば僕の場合、

 

家事をちゃんとできてない時に、嫁が怒ってくる時とか、すごく嫌でイライラします。

 

それは、家事をちゃんとできてなかった自分の

 

無能力感

 

だったり、

 

怒ってくるなんて、僕のこと大事にしてくれてない!っていう

 

ないがしろにされた感

 

だったり、

 

怒るっていうことは、嫁が僕のこと嫌いになってしまうかもしれない、愛想をつかされるかもしれない、という

 

不安感

 

だったりします。

 

それら、

無能力感、ないがしろにされた感、不安感、これらを経由しての、、、、

 

無価値感

 

です。

 

僕らは、この無価値感と向き合うことをものすごく恐れます。

 

無価値感から徹底的に逃げよう逃げようとします。

 

そう気づいて自分の行動や言動を見ていくと、

 

人生って、完全に

 

無価値感からの逃避ゲーム

 

になってます。

 

無価値感を感じたくないから、それを見ないようにするために、

怒ったり、

落ち込んだり、

引きこもったり。

 

無価値感を遠ざけるために、

実績や過去の栄光を自慢したり、

人から褒められるようなことをして見たり、

自分のいいところを集めようとしたり。

 

心の奥深くで、信念のように抱えてる無価値感。

 

それが顔を出さないように、しっかりしまっている。

 

でも、逃げても逃げても、消えません。

 

この無価値感は普段は見えないけど、ずっとあって、なにかことが起きるたびに、僕らを襲ってきます。

 

全てのマイナスな、ネガティヴな感情には、この無価値感がくっついています。

 

だから、ネガティヴな感情に対して僕らがとる行動は、

 

見ないようにする。

 

コントロールする。

 

なかったかのようにする。

 

違うことで紛らわせる。

 

酒を飲んで紛らわす。

 

でも、見ないようにしたり、紛らわすのでは、消える訳ではないので、だんだん溜まっていき、限界にくると爆発!

 

そんなことを繰り返してます。

 

じゃあ、僕らはこの逃げ切れない無価値感とどう付き合っていけば良いか、ということになります。

 

どうすれば良いか。

 

答えを言っちゃいます。

 

 

それは、

 

 

自己受容です。

 

 

そのネガティヴな感情から逃げない。

 

その感情をそのまま味わう。

 

自分のこんなところに無価値感があったんだ、、、とその発見を喜びながら、

 

「この無価値感、感じていいんだよ。」

 

と自分に言ってあげる。

 

僕はこの時に、左胸辺りがザワザワして、ひどい時は痛みも伴うので、そこをさすりながら、

 

「大丈夫だよ。それでいいんだよ。」

 

と言ってあげます。

 

これがポイントです。

 

すると、その無価値感を感じることが大丈夫になってきます。

 

すると、不思議とその無価値感と

 

仲良くなれます。

 

そして、じわーーっと莫大な安心感に包まれてきます。

 

すると、そのネガティヴな感情が恐くなくなる。

 

そして、向き合うことができた自分に自信が生まれる。

 

すると、不思議、

 

無価値感が、

 

絶対的な価値

 

に感じられるようになります。

 

そうです。

 

無価値感って、人と比べてみている、相対的なもので、それって、言っちゃえば、、、

 

 

気のせい!!

 

なんと

 

気のせいなんです(笑)

 

無価値とかない。

 

無価値を埋めるように、できること、自分のやれることをたくさん集めてきても、実は無意味。

 

埋まってるので、いつか掘り出します。

 

ではなく、無価値感を見てしまう。

 

見るとね、、、、

 

気のせいだよ〜ん!

ドッキリ大成功!

 

とか書いてあります(笑)

 

みんなね、何もしなくていいの。

 

何もしなくたって、あなたの価値は変わらない。

 

逆に言えば、どんなすごい実績も、すごい栄誉も、成功も、

 

関係ないです。

 

それらも、あなたの価値を高める訳ではない。

 

さらに、周りの人が好評価をしてくれる、とかいうのも関係ない。

 

あなたの価値は、あなたが決められます。

 

だから、どんな場所で、何をしていても、

 

絶対に

 

そこから始められます!

 

不登校してたって、

 

ニートしてたって、

 

犯罪してたって

 

ウ○コしてたって

 

あなたの価値は変わらない。

 

無価値感と仲良くなれれば、

そこから始められる。

 

大丈夫です。

 

だから、「無価値感からの逃避ゲーム」なんかやめて、

 

無価値感発見!味わいゲーム

 

にしましょう!

 

人それぞれ、個性的で面白いところに無価値感が埋まってます。

 

それの掘り出しゲームです!

 

宝探しバリの面白さ!

 

埋まってる場所を探すのに、イライラとかが大ヒントになりますね。

 

ぜひこのゲーム、楽しんでいきましょう!!

 

人生はギャグだ!!!

 

長くなりました。

 

今日はこの辺で。

 

朝起きたら、テーブルに「死ね」と殴り書きされた書き置きがあった件

僕は嫁が大好きです。

 

ですが、そんな想いも虚しく、嫁からものすごく怒られることがあります。

 

罵られます。

 

そんな國井家劇場を、今日はひとつご披露します。

 

先日朝起きてリビングに行くと、テーブルにメモ書きがあり、

 

「死ね」

 

と殴り書きされてました。

 

 

え!?

 

僕、なんかしたっけ!?

 

またなんかやらかしてしまったか。。。

 

 

おそるおそる、嫁に真意を問うてみると、

 

「はっ!?あんたが起きて来るって言って、寝てたからでしょ!!」

 

 

あぁ。そうか。

 

昨日話したいことあるって言ってたもんな。

 

そうだった。子ども寝かしつけて寝てしまっていたんだ。

 

 

 

 

、、、、、、、、、うん?

 

 

 

って、おい。

 

我が家って

 

「うっかり寝てたら死ねって言われるシステムなんですか!?」

 

トンデモナイわ。

 

その後、息子を保育園の一時預かりに預けに行き、

嫁は自分のお店の整頓

僕は我が家の片付けなどをして、

 

一緒に洞爺湖湖畔で弁当を食べてランチしよう。

 

という話になりました。

 

 

おお、いいぞ!

なんか、ピクニックみたいじゃないか!

幸せな家庭の休日じゃん!!

 

と僕が浮かれていたら、

 

そのランチをする時間、について僕と嫁で想定していたことに食い違いがあり、また嫁から罵(ののし)られます。

 

「は!?それじゃ2人で話しできないじゃん!なに考えてんの!さっきそれ言ったのすら覚えてないの!」

 

と言われました。

 

どういうことかというと、僕は息子を迎えに行ってから3人でランチと思っていたのですが、嫁は

「2人で話しながらランチをしよう」

と思っていたようなのです。

しかも、それはさっき伝え済みとのこと。

 

嫁「私のしたいと思ってること、全然わかってくれない!」

「そもそもわたしの言ったこと覚えてないなんて、大事にしてないってことでしよ!」

 

と続けざまに口撃してきます。

 

僕も、

 

「いや、そんなことは聞いてなかったはず!」

「そもそも、相手に言わずにわかってもらおうとする方がおかしい!」

「そんな言われ方したら、嫌な気持ちになるだけじゃないか!」

 

と応戦。

 

売りコトバに買いコトバ。売りコトバに買いコトバ。売りコトバに買いコトバ。

買いタバコに歩きタバコ。。。。

 

 

おっと、待てよ。

 

そうだ。

行為

感情

に分けるんだった。

 

 

行為は

「死ね」という殴り書きの書き置き

「なんにもわかってくれない、記憶力もない最悪なダメ男!」という罵り

 

感情は

「2人で一緒に話したいと思っていたのに、話せなくて悲しい。」

「旦那が私と話したいと思ってくれてないように感じる」

 

でした。

 

それに気づいた瞬間に、こちらの怒り感情が、

 

サーーーーっと冷めて行きました。

 

そして、

 

僕「あれ。いや、その、なんだ。ようするに、おっかーはおっとーと話したかったんだよね?」

 

嫁「そう!」

 

僕「しかも2人きりで、ゆっくり話したかったんだよね。」

 

嫁「そう!」

 

僕「そして、2人でランチすると伝えたのに、それを記憶にとどめてないってことは、おっとーはおっかーのことを大事にしてない、って感じて悲しかったってことだよね。」

 

嫁「うん」

 

僕「大事にされてないって感じさせてしまったのはほんとごめん。」

「でさ。おっとーと話したいんでしょ。それってさ、実はすごい嬉しいことじゃん!だっておっとーと話したいんでしょ!おれも2人で話したいし!3人より2人のが絶対いい!」

 

嫁「、、、なんか昔付き合ってた彼を私はすごく大事に思ってたのに、私のことはあんまり考えてくれてなくて、なんか自分バカみたい、と思ったあの時のことを思い出した。」

 

と、少し涙。

 

その後は全く関係ない話しに行き、さっきの熾烈なバトルはなんだったのか、、、、という感じになりました。

 

國井 家劇場、、、閉幕。。。

 

 

 

、、、、、、ハイハイ。

 

 

 

トンダ、ノロ〜ケバナ〜シダネェ

 

 

キクニタエナイゼェ〜

 

 

カッテニヤッテクレ〜

 

 

テユウカオマエホントニシネェ〜

 

 

シンデクレェ〜

 

 

という声が聞こえてくるようだ。。。

 

そしてなにやら四方八方から空き缶やらバットが飛んできそうな空気ですが、僕は負けません。

 

このブログを書き上げるぞ。

 

 

というわけで、子どもだけでなく、

嫁に対しても、

 

行為

感情

を分けて、

 

感情を感じられるようにしていく。

 

ということが、功を奏した例でした。

 

表面的な行為が

罵詈雑言による、罵り

だったわけで、

 

(ウェブ上にあげますし、嫁に対する世間様の目もありますし、表現が大変柔らかいもののみ抜粋して掲載しております。ありのままでは、ピーーーとか入りそうなので)

 

感情を探すのは大変難しかったです。

 

特に嫁という間柄の人の場合、こちらの感情を、揺さぶる鋭い指摘をよく理解しているので、めちゃめちゃこちらの感情がぐらつきます。

 

ですが、練習すればやれる気がしますね。

 

先ほど、嫁に原稿チェックしてもらいましたが、事実と違う部分がありました。

 

嫁は、

「死ね」

と書いた時点で満足して、

健やかな眠りにつき、

朝は機嫌よかったとのこと。

 

、、、たしかに、、、言われてみればそんな気がする。。

 

あそこで

「死ね」

という殴り書きをしなかったら、確実にもっと恐ろしい戦慄が待ち受けていたことでしょう。

 

だから、

 

「死ね」

 

というメモは

 

絶対に書いた方が良かった!

のです。

 

ここは誤解しないでもらいたい。

 

「死ね」って書くなんて最悪な嫁だ!我慢の足りない女だ!と思うのは、

 

ちょっと浅い捉え方です。

 

死ねって書いた方が100%良かったんです。

 

自分のホントの気持ちを見てあげて、表現すること。

 

すごい癒し効果です。

 

だって、「死ね」と殴り書いたあとは、ホントに健やかに寝たようですから(笑)

 

彼女は、ザ・引きずらない女王ですから。

 

引きずる女性は、

「我慢している感情を見ない、出さない」

ということをしている可能性が大変高いです。

 

それはよろしくないです。

 

死ねって書いた方がいいです。

 

みなさんも、ダンナに対して、

「シンデクレェー」

と腹の底で思っていることに気づいてしまったら、

 

「死ね」

 

と殴り書いて見てください。

 

著者:クリストフ アンドレ 他2名
「自己評価の心理学」―なぜあの人は自分に自信があるのか

 

という本の中でも、非常に推薦する方法として書かれています。

 

、、、、本人には見せず、ビリビリに破くか、燃やしましょう、と書かれてますがね。。。

 

 

以上、國井家劇場、解説編でした。

 

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写真は國井家劇場の舞台。

 

自然造形空間アーティスト野口さんによって創り上げられた、洞爺湖の我が家です。

 

おそまつ!

子どものあるがままを受け容れる、という具体例を1つ紹介。

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この絵は洞爺の我が家の駐車場に、次女が描いてたものです。

 

 

今日は、小学3年生の長女に対しておこなった

 

あるがままを受けいれてみた

 

ことについて書きます。

 

よく、「子どものあるがままを受けいれなくてはいけないよ」という言葉に出会います。

 

本の中でもよく見かけます。

 

でも、それって、なにをすればいいの??

 

子どもが甘えてきた時、わがままを言ってきた時も、やらせてあげなきゃいけないってこと!??

 

と、疑問に思ってました。

 

大学から福祉の勉強をして、仕事も福祉の仕事に就いた僕としては、

「あるがままを受けいれなくてはダメだよ」

というのは、耳にタコができるほど、触れてきた言葉です。

 

自分でもそう思って意識しようとしてましたが、具体的になにをすれば良いのかよくわからない。

 

それの方法がようやく分かってきました。

 

 

1、根本的な問題を特定する

 

2、行為感情に分ける

 

3、感情を受け容れる

 

 この3段階で進めます。

 

 

この前の土曜日は娘の小学校の学園祭でした。

 

ですが、この日は東京に会議のため出かけるので、僕は行けませんでした。

 

そのことを娘に伝えたところ、

 

「えーー!一緒に行けないのーー!」

 

と、ムスッとしてしまいました。

 

その後、

 

長女「今日はなにするの!?」

 

僕「そうだねー、今日は草刈りだね。」

 

長女「えー!やだ!草刈りしたら、友達来た時に草で遊べなくなるからやだ!!」

 

僕「いやー、、、今日しかやるチャンスないから、草刈りやりたいんだよね」

 

長女「絶対ダメ!畑の方だけにして!」

 

僕「うーん。。。それじゃあんまり意味ないんだよな。。。」

 

長女「ダメ!畑のところだけ!」

 

僕「そしたら、畑だけにするかな〜。。。」

 

長女「やっぱり全部ダメ!草刈り全部やっちゃダメ!」

 

僕「えー!さっきと言ってること違うじゃん。」

 

長女「ダメなの!今日は草刈りやんない!」

 

 

、、、、、、というやりとりをしてました。

 

ここでたいてい陥りがちなのが、なんとかおさめるために、草刈りをやらない、という選択をしてしまうのですが、それでは、長女はおさまらないのは明らかです。

 

それはなぜか。

 

ここで長女は、

 

草刈りが嫌。。。

 

というわけではなく、

 

学園祭にお父さんと行けないのが悲しい

 

のです。

 

上記    1、の問題特定です。

 

そこで、

 

僕「そうか。〇〇〇(長女の名前です)は草刈りが嫌なわけではなくて、学園祭におっとーと行けないのが悲しいんだよね。」

 

と、伝えたところ、

 

長女は号泣し始めました。

 

長女「なんで!なんで東京行くの!お父さんと一緒に行きたかったのに!!行けると思ってたのに!やだ!絶対東京に行って欲しくないー!」

 

と言いながら、号泣。

 

長女「学園祭に行けないじゃん!もうーー!」

 

長女「だんで!だんで!ぼうーーだだーー!」

訳(なんで!なんで!もうーーやだーー!)

 

泣きすぎて、言葉がだいぶ「だぢづでど化」してきました(笑)

 

この時期、嫁が寝込んでいたこともあり、僕が学園祭に連れて行けないイコール学園祭に行けない、と思っていることもわかりました。

 

そこで、

 

僕「学園祭に行けないかもしれないとも思ってるんだね。それは大丈夫。おっかーがもし連れて行けなくても、誰か友達のお母さんにお願いして連れて行ってもらえるように必ず準備するから学園祭には絶対に行けるよ。」

 

とまずは、学園祭には行けることを確定してあげました。

 

そして、

 

僕「おっとーはどうしても行きたい仕事があるから、東京に行くね。〇〇〇の期待に応えられなくてごめんね。おっとーと行きたいと思ってくれてたんだね。ありがとう。その気持ち、嬉しいよ。おっとーと行きたかったんだよな。行けなくなって悲しいよな。ごめんね。」

 

と伝えると、

 

 

。。。。無言に。。。

 

 

そのまま、10分ほど沈黙が続きました。

 

そして、僕は他にやることをしに、その場を離れました。

(切り替えるには僕が目の前にいない方が良いだろうとも思いました。)

 

5分ほどで帰ってきたら、

 

長女「これから栗拾いに行くー!!」

 

とケロッとして、

 

笑顔になってました。

 

 

 

とまぁ

こんな感じでした。

 

 

このやりとり内での

2、行為感情に分ける

 

については、

長女が期待してる行為としては、

 

学園祭にお父さんと行く

 

でした。

 

そしてその時の感情は

 

お父さんと一緒に行けないのが悲しい

 

でした。

 

なので、この2つを分けて考えます。

 

そして、行為は

受容しなくてもいいのです。

 

これが非常に重要なポイントです。

 

一緒に学園祭に行けないのであれば、「行けないよ」としっかり伝えた方が明らかに良いです。

 

変な罪悪感から、やっぱり出張はキャンセルする、というのは絶対に避けなければいけないことです。

 

子どもにも、

 

自分の期待通りに他者が行動してくれるわけではない、、

 

という経験をぜひ積ませてあげてください。

 

 

そして、


3、感情を受け容れる

 

です。

 

お父さんと一緒に行けないのが悲しい

 

この気持ちを

 

1、見てあげます。

 

そして

 

2、伝えてあげます。

 

そして、

 

3、悲しい気持ち、わかったよ。そうなんだね。悲しくさせてしまってごめんね。

(でも、学園祭には行かないよ。。。と心の中では思っている)

 

と伝えます。(受け容れてあげます。)

 

すると、娘としては、お父さんと行く、ということは叶わないものの、自分の気持ちをお父さんは理解してくれてる、わかってくれてる、と感じます。

 

そして、親への信頼感も高まります。

 

すると、イライラした気持ち、悲しいという気持ちがやわらいできます。

 

そして、子どもはすごいですね。

引きずらずに、すぐに次の遊びに入っていく。

 

 

と、こんな出来事がありました。

 

あらためて、

問題の特定

は難しいなぁと感じましたし、

 

行為

感情

を分けて、

 

 

感情

を受け容れる

 

ということのすごさを実感しました。

 

僕が考える

あるがままを受け容れる

というのはこういうことです。

 

今の感情、気持ちを見てあげて受け容れてあげること。

 

そして重要なことが

行為は叶えてあげる必要はない

ということです。

 

 

今日は長くなりましたので、この辺で。

 

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

この自分で生きていこう。そう思えるようになる方法。

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自分でいい。

 

この自分で生きていこう。

 

そう思えた時ってあったかなぁ、と振り返ってみる。

 

 

 

、、、、無かったなぁ。。。

 

 

思えない。

 

自分は、記憶力が悪いから、メモも溜まり放題。

 

言われたことをやろうとして、次の依頼があると、前のことは完全に忘れてる。

 

嫌なことがあると、すぐに逃げたくなる。

 

今日やるべきことを明日に回す。

 

締め切りがギリギリになってようやく取り掛かり、周りを巻き込み迷惑をかけながら、ギリギリセーフで終わらせる。

 

嫁に内緒でドラクエ5のアプリを1800円で買って、コツコツ少しずつやって、レベル40になって、死闘の末、エンディングを迎える。

 

 

 

そんな自分に出会うたび、うんざり。

 

ため息が出る。

 

 

だから、自分のいいとこを探してみる。

 

目の前にいる人には真剣に向き合おうとする。

 

人当たり良く、人に不快な思いをさせないように振る舞える。

 

相手のプライドを傷つけないように、話を進められる。

 

つらい気持ちでいる人に、そのまま寄り添える。

 

ブログを書くと、その文章に喜んでくれる人がいる。

 

職場の機関誌の連載でも、感動してくれた人がいる。

 

子どもたちは、僕のことが大好き。

 

 

 

 

この「いいとこ探し」をやっていくと、

 

 

いいとこが見つかったり、

いいことができてる時は元気になれる。

 

 

 

でも、

 

これは、一時的で、

また嫌な自分が出てくると、身動きができなくなる。

 

とたんに落ち込む。

 

 

この繰り返しでした。

 

本当に。

 

だから、やっぱり、なんかやらないと、

自分に対して、

 

自分すごいね!

 

って、見せつけてあげないと、安心できない。

 

そんな感じでした。

 

だから、何もやらない、できない日は激しく落ち込む。

 

 

本当にどうしたらいいかわからなかった。

 

 

でも、ようやくヒントが見えました。

 

 

それは、

 

 

自己受容です。

 

自分の、いいとこ探し、ではない。

 

自分の

 

ダメなとこ受け容れ

 

これです。

 

 

そして、その方法が少し見えてきました。

 

 

その方法というのは、

 

「感情を受け容れる」

 

ということ。

 

 

 

もうちょっと言い方を変えると、

 

「今感じてることをそのまんま見てあげて、受け容れること」

 

です。

 

だから、

嫁に隠れてビールを一本、二本、三本と開けて行って、パスタを茹で始め、卵を割り、と本格的に夜食を作り始めた自分を見てがっかりしている時に、

 

「そうだよな。飲みたかったんだよな。これからの仕事に対して、先行きすごい不安だし、自分の今の能力と向き合うのがこわいんだよな。それに対して嫁にいろいろ言われるのも、やっぱりつらいんだよな。自分のこと大事にされてない感じ、したよな。だから、飲んじゃったよな。」

 

と、自分に言ってあげるんです。

 

行為と感情は分けます。

 

飲むことという行為は受け容れなくても良くて、

 

飲みたくなってる気持ちを受け容れてあげる。

 

これが自己受容です。

 

これは、自分にだけでなく、他者に対しても大変効果的です。

 

例えば、嫁。

 

例えば、子ども。

 

 

例えば、会社の同僚、上司。

 

親。

 

みんなに適用できます。

 

次回は、長女に対してやってみた、

 

他者受容

 

の記事を書きたいと思います。

 

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。