生きづらさをやさしさに変える くにい かつひろ

繊細すぎて苦しかったその生きづらさこそが、人を癒す力になったと感じてます。 くにいかつひろ

日本人は、人付き合いが苦手な気がする。

 昨日のブログで奥田知志さんを紹介しました。ちょっと紹介の付け足しを。
 奥田さんは牧師で、ボランティアでホームレスの支援をしていました。ホームレスの人たちに炊き出しをしていました。それくらいならよくある構図ですが、奥田さんのいる北九州市ではホームレスに生活保護を出さないと決めていた自治体で、炊き出しの公園使用許可の申請を出しても受け付けてくれなかった。だからゲリラ的におこなっていたようです。そのうちに、役所は車どめを使って妨害をしてきた。そこで、絶対妨害できないところでやろう、ということで、市役所の敷地内で炊き出しを始めました(笑)
 
 最高。

 爽快。

 その後、「奥田逮捕!」という形で行政も動こうとしたりと、面白いことが起こるのですが、興味のある方は、奥田さんの著書をお読みになってください。

 これを書いておかないと、不登校の息子に途方に暮れていた、というトピックしか紹介していないことになるので、書きました。本当に大好きな方です。


 奥田さんは、今の日本を「無縁社会」と呼んでいます。そこに根本の問題があると指摘している。
 僕は、日本人というのは、「人付き合いが苦手な人種」なのではないか、と考えています。海外の人と話したことも少ししかないくせに、なにを言っているのかという感じですが。
 人とのコミュニケーションで、僕が大事だと思うのは、まず、「自分を大事にすること」です。自分の価値観や感受性が大前提。その上で相手の価値観や感受性と照らし合わせて、違いを知り、楽しんだり、面白がったり、喧嘩をしたりする。そして、双方に違いを認めながら、一緒に居られる。これが人間関係だと思います。まず、自分を大事にできていないと、人に合わせることを優先してしまって、居心地が悪いのに、自分をごまかして一緒にいようとしてしまう。和をもって尊しを、悪く使ってしまった状態です。
 日本人はこの状態が大変多い気がする。
 
 「人付き合いに疲れるんだ」
 「今日はいろんな人に会ったから、すごく疲れた」
 「誰にも会いたくない」

 この背後には、嫌われることを恐れて、「自分を大事にできていない」という状況が横たわっている。
 波風を立てない、という日本人の特徴は、ある意味良さでもありますが、これは人を避ける要因にもなると思います。

 なぜこんなことを書いているのか。

 僕がまさにそうだからです。

 だから、人との出会いを避けて、引きこもる、不登校する、という側面も非常によくわかる。

 だって、人と出会うということは、「傷つくリスクを負う」ことだから。

 疲れるだけではない。疲れることも嫌になって、きちんとした関係性を作ろうと一歩踏み込むと、傷つく可能性があります。
 人と出会うということは、自分を見ることでもある。自分に失望するかもしれないし、他者に受け入れてもらえないかもしれない。

 それを恐れる。

 それは、、、、、普通だ。

 奥田さんは「安心して傷つくことができる社会であるべきだ」と言っています。

 僕は、安心して傷つきにいける自分に、どうすればなれるのか、ということを考えています。

 どうすれば、等身大の自分を人に見せられるか。

 こんなダメな自分こそ、自分だ、と言えるようになるか。

 わからないけれども、それが見えてくるような歩みに、このブログがなればいいなと思ってます。
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宿り木という植物です。
寄生してるんですが、なんとも面白い形です。
一部の人々から熱狂的に欲しがられていたりします。