生きづらさをやさしさに変える くにい かつひろ

繊細すぎて苦しかったその生きづらさこそが、人を癒す力になったと感じてます。 くにいかつひろ

不登校、ひきこもりの人の共通点

僕が最近知り合いから聞いた、ある女の子の話です。

その子は、中学卒業まで、「劣等生」の方だったそうです。だから、授業や友達との関わりでも、「自分はできない人間なんだ」という認識を絶えず、感じてしまっていて、そういうセルフイメージを持ってしまっていたそうです。

ところが、高校はその系列ではないところに行くことに決めて、行ってみると、そこでは、「○○ちゃんて、なんでもできるんだね!」と言われてしまったそうです。成績も優秀な方になった。


役割理論というものがあります。
集団や、人間関係の中での理論です。

例えば、妻と僕の間では、妻が超プラス思考でポジティブで、僕はマイナス思考でネガティヴな発言をしがちでした。むかしは特に顕著でした。だから、普段の生活では、僕はネガティヴ寄りだな、という自己認識をしばらくしていました。ですが、僕よりもネガティヴな人と話をすると、途端に自分がポジティブな立場に立ってしまう、という経験をよくしていました。

他の例も出すと、例えば、5人の仲良しグループがあって、その中にAくんというイジられキャラがいました。そのAくんが転校をしてしまった。すると、残った4人の中で誰かがイジられキャラになる、という現象が起きます。集団がイジられキャラの役割を期待する限り(これを役割期待と呼びます)、その対象者がいなくなっても、代わりの対象者が現れ、その役割を遂行する。

こういうことが起きます。

これを役割理論と言います。

要するに役割というのは相対的なもので、所属する集団が変わると、自分の役割も変わってしまうのです。

役割だけでなく、セルフイメージも変わる。

だから、不登校やひきこもりに至った人の大多数は、集団の中で、イケてない役割だった、もしくは、そうなることが予想された、あるいはいじめられたという人や、逆に突出することで、他の人の妬みを受けた人など、集団の中での役割期待と自分がミスマッチを起こしているということが考えられます。

・・・・当たり前ですが。

それと、役割が相対的である、ということは、ずっとイケてない役割でいる、ということはあり得ない、ということです。

集団を変え続ければ、いつかは自分がいい感じになれる役割に出会えるかもしれない、ということ。

だから、一つの役割が自分の役割の全てだ、と思ってしまうのは早計だと思います。

自分はダメ人間だ。
そういうセルフイメージを持ってしまっていても、
集団を変え続ければ、「お前すごいな!」と言われる集団が見つかるかもしれない。

以前本の中で見たやりとりで、
いじめについての相談で、
「もし引っ越した先でもいじめられたら、どうすればいいですか」

という質問に、
「そしたら、また転校しましょう」
と解答していて、

「その先でもいじめられたらどうすればいいのでしょう」
とまた問われた時に、

「そうしたら、また転校しましょう」
と答えていました。

それを見た時に、「ふざけた解答だな」とも思いましたが、今思い返すと、「たしかに」とも思います。

自分を壊してまで、その集団にいる必要はない。

さっさと変えてしまおう。またうまく行かなければ、また変えよう、ということはその通りだなと思います。

でも、自分の責任を負わずに、他人のせいにして集団を変え続けるのは、筋違いだと思いますので、そのあたりの見極めはひつようだとおもいますが。


自分の役割は相対的です。

だから、不登校、ひきこもりの人たちには自分が心地よくいられる集団、セルフイメージが高まる集団に所属できることがポイントだと思います。

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うちにあった木工細工。

すごい技術。