ホントの自分と 生きてくブログ ~自己受容メソッド~ くにい かつひろ

子どもに本当の自己肯定感をつけさせたい。生きづらさを抱えている様々な人たちに本当の自己肯定感をつけてもらいたい。職場の部下の自己肯定感を高めて、やる気をもって仕事に取り組んでもらいたい。すべての人たちが、本来の活き活きとした自分の人生をスタートさせる方法『自己受容メソッド』。それを書き綴っています。『自己受容』をしていくと、人生にとんでもない革命が起こる。。。自分の奥底にある感情こそが、本来の自分の生き方への道しるべ。

やりたいことをやる。ことの厳しさ。

昨日のブログで、やりたいことをやることが最も責任ある行動だ、ということを書きました。

それについて、また違った側面から今日は書いてみたいと思います。

責任には、二つの側面があるそうです。


遂行責任です。

両者とも読んで字の如しで、

結果責任は、なにかを行った時に生まれる結果について責任を負うことであり、

遂行責任とは、そのことについて、遂行する責任を負うこと、だそうです。

そう考えていくと、不登校って、子ども本人は学生として、通わなくてはいけないという遂行責任を負っているように見えるし、

親は子どもを通わせる、という遂行責任を負っているように感じます。

でも僕は、そんな意味合いでの不登校にまつわる遂行責任なんて存在しないと思ってます。

昨日、勉強会とコンサルを受けてきて、その受講生の方で、「自分が学生の頃に不登校という選択肢があれば本当に良かったのに。」
と言っていた人がいました。

苦しくなって居続けられない時には、「その場を離れる」という選択肢があっていい。
むしろ離れられないのは、ちょっと恐ろしい。

だから、学校に行く、という遂行責任はないと思ってます。

では、結果責任はどうか。

これについては、まさに負うことになる、というか、どんな結果も負わざるを得ないとおもっています。

いや、むしろ、全てのことの結果責任を受け入れて生きているのが、リアルだと思う。

不登校して、ゲームを一日8時間ひたすらやっていたとします。

それを1年やると、ゲームに関することでの経験値や知識はしっかり蓄えられます。
また、その時間、ずつと自分に向けて感じているセルフイメージも、蓄積されます。

ゲームからもいろんな学びがあることでしょう。

しかし、その間、対人関係に関する経験値だとか、仕事に直接的に繋がるスキルだとか、うまくいかないことがあっても辛抱してみる力だとか、そういったことの積み重ねはしてこなかったことになります。

それもひっくるめて、引き受けて生きていくことです。

そうなんです。
何をしてもいい。

その結果を引き受けることになる。

ゲームをしまくった自分で生きていくことになるんです。

僕がそうでした。

不登校中、ゲームをしまくっていました。

でも、その時に、ゲームをしながら、世界を感じていて、いろんな経験をしているものなんです。

その頃、常におこなっていたことは、

「自分ってなんてダメ人間なんだ」

という言葉を自分に投げ続けていたことです。

ゲームをしつつ、その傍らで、そんな言葉を自分に投げかけていました。

その経験が、僕の今の仕事にものすごく生きています。

自己価値観が低くなる人の気持ちが痛いほどわかる。

「自分はダメなんだ」ということばを自分に投げかけてしまう気持ちがわかります。

自堕落な生活、自己否定の生活。。。。

それすら、強みに変換できる、と僕は確信してます。

同じような経験をしている人に、寄り添えるんです。

だから、今の生活を思う存分おこない、自己否定だってしてしまいましょう。

その先に、どこか通じている道はあります。

やりたいことをやることの厳しさというのは、そういうことで、結果として現れる自分を、好む好まないに関わらず、引き受けて生きていくしかない、という厳しさです。

だから、どんなことしてもいいはず。

やりたいこと。

やりましょう。

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今朝の娘(小学2年)の弁当。

最近やっているのは、
弁当に入れるおかず類を並べて、娘に、弁当に詰めてもらう、という方法です。

これにより、分量も自分で調整できるし、
なにより、普段食べなさそうなおかずも食べる確率があがり、完食率が飛躍的にアップしました。

分量も「多すぎた」「少なすぎた」という文句が出るわけがなく、少なかったという経験を踏まえ翌日は多くしてみるなど、自分の生活を自ら主体的に作っている感が、あります。

本人が主体的におかずを詰めるというのは、すごく楽しいようで、モチベーションも勝手に上がって、なかなかいい感じです。