生きづらさをやさしさに変える くにい かつひろ

繊細すぎて苦しかったその生きづらさこそが、人を癒す力になったと感じてます。 くにいかつひろ

不登校とは・・・・・チャンスである

 「不登校とは○○○○である。」

  こんな問題が出たとしたら、みなさんはどんな答えを書き込むでしょうか?

 いろんな答えがあると思いますが、今の僕にとっては、「チャンス」という言葉が一番しっくりきます。

 不登校なんて、人生の中ではマイナスの時間にしか感じられないように思いますが、不登校を経験して、現在普通の家庭を抱えて仕事をしている自分からすると、プラスの時間に変換することは、十分可能だと感じます。

 そして、このブログでは繰り返し言っていますが、「不登校してよかった」と僕は心の底から思っています。

 それでは、不登校がチャンスである、という理由の一つ目ですが、
 「人生に主体的に関われる」
です。

 今、この文を見てくれている方。

 あなたの今の生活。仕事。一緒にいる人。学校。部活。サークル。趣味の会。

 それらの活動をすることについて、

 「自分で選択している」と心の底から言える人ってどれだけいるでしょうか?

 「誰かに期待されてるから」

 「一般的にその方がいいから」

 「友達に誘われたから」

 「それが普通だから」

 「そういえばなんとなく」

 そんな感じで、主体的に選択できている、と言い切れることって意外と少ないのではないでしょうか。

 僕は、主体的に選択していることって非常に大切だと思ってます。

 それが、幸せの第一歩だと思ってます。

 誰のせいにもできない、ということは、シビアであり、それこそが幸せだと思います。

 そこにくると、不登校はまさに自分で選択してます。

 他人から、奇異の目で見られても、一般的な生き方から外れてしまったとしても、そういうリスクを負ってでも、不登校を選択しているわけです。

 不登校という状況は、主体性を獲得するための第一歩としては、非常に良いのではないかと感じます。

 誰のせいにするわけでもなく、僕が選んで不登校をする。

 自分の人生の主人公になる第一歩だと感じます。

 不登校をしない状態だと、その一歩を踏み出すまで、しばらく時間がかかる場合があります。

 そういう意味でも、

 「不登校」=「主体性の獲得」

 という変換をする、チャンスが訪れている、と捉えられると思います。

  
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 職場近くにいる馬ですが、この度、あかちゃんが産まれたようです。