生きづらさをやさしさに変える くにい かつひろ

繊細すぎて苦しかったその生きづらさこそが、人を癒す力になったと感じてます。 くにいかつひろ

過去ブログ7  2、恥をかくこと

2、恥をかくこと

昨日書いた、不登校や引きこもりなどの人とその親に対して伝えたいことであり、我が家の家訓でもあり、自分の目標でもある、5つの柱のふたつめは、「恥をかくこと」です。

これは、日本の恥の文化に対抗していくことだと考えています。
日本一の納税者の斉藤一人さんが、成功する秘訣は、恥をかくことだ、と言っていました。どういうことかというと、わからないことは教えてもらいなさい、ということです。教えてもらう、ということは無知であることを他人に見せることだ、すなわち恥をかくこと。でもそれが成功するための近道だ、と。

村松努さんという、宇宙開発で世界中から注目されている人が、面白いことを言っていました。
ペットボトルロケットの作り方を教えるワークショップを子ども達にやっていた時の話で、成績優秀な子どもたちと、普通の子どもたちを比べると、成績優秀な子どもたちは作るまでにかなりの時間がかかってしまう、というのです。何が起きたかというと、成績優秀で周りに負けまいと勉強してきた子どもたちは、負けを認めようとしなかったり、人に教えを請うことは負けと感じてしまったりなど、プライドが邪魔をして教えを請わなかったりするそうです。まさに恥をかくことをおそれてしまう。
でも普通の子たちは、はやくロケットを飛ばせた子どもの元に集まって、教えてもらい、どんどんコツを覚えてみんな完成させていくそうです。
この例だけで一概には言えないと思いますが、子ども達に「人よりも努力して、負けないように頑張るんだ」と教えるよりも、「わからないことは教えてもらうんだよ」と教えたほうが、俄然理にかなっていると感じます。
また、恥をかいても笑っていられるような人って、やっぱり強いな、柔軟だな、と感じるし、そういう人は人と友好的な関係を結びやすいよな、と感じます。

それと、恥を恐れる、というのは、KY(空気が読めない)という現代に生まれた日本独自のこの言葉と密接に関わっているように感じます。
日本人はとにかく空気を読む人種だと思います。そして、その空気を読むということについて、他者に強要するところがあると思います。だから、女子高生たちがKYという言葉を流行らせることができたのだと思います。
空気が読めないという事だけで、集団から弾かれてしまう。(だから空気を読むことが極端に苦手なアスペルガー症候群や、発達障害の人は日本では本当に生きにくいはずです。)
空気を読まなくてはいけない、、、という雰囲気。これが非常に恐ろしいと感じます。
恥を恐れることで、不登校や引きこもりなど社会的所属を喪失する人は多いと思います。。。というかぼくはこれでした。

学校の成績が落ちていく自分を見られることがこわい。
サッカー部の新人戦に参加できない自分を同級生に見られることに耐えられない。
人からの評価が下がることがこわい。

ぼくが登校拒否した要因はこれです。
人の目を気にした。人の評価を気にした。
恥をかくことをおそれた。

だから恥をかくことというのは、日本で生きていく上で、非常にキーポイントになると思ってます。
不登校、ひきこもり、ニートなど、ロスビー(社会的所属の喪失)の人の大部分にとって、避けては通れないテーマだと思います。

その時に、「恥をかかないように、誰から見られてもはずかしくないように、育てなくてはいけない。」と考えてしまうのは大きな間違いだと、僕は思います。
そういうことではない。
むしろ、「恥をかきなさい。率先して恥をかいてでも、教えてもらいなさい。無知だということを人に伝えて、現実の自分を突き詰めなさい。そうした先にこそ道があるよ」と僕は子どもたちに伝えたい。というか自分に言いたい。

このブログのタイトルのリアリティをつきつめる、というのは、まさに「恥をかくこと」でもあります。
スラムダンク安西監督がシュート練習をひたすら繰り返す桜木花道に「己(おの)が下手さを知りて一歩目」と言ってました。
まさにリアリティを突き詰め、恥をかき、自分の現在地を知って一歩を踏み出せるということだと思います。
その瞬間、自己否定をするかもしれない。でも、そんな自分も「これが自分だ」と受け容れることができる時が来ると思います。そしてはじめて進める。そんな気がしてます。

自分の目標であり、國井家家訓であり、ロスビー本人や、その親に伝えたいことの二つ目は、「恥をかくこと」でした。

(自分の不登校の要因をストレートに書きました。おそらく、中学校時代を知っている友人の目にも触れるだろう、と思って、やはり胸がドキッとするわけですが、もう、、、、、ガンガンいきます(笑))