生きづらさをやさしさに変える くにい かつひろ

繊細すぎて苦しかったその生きづらさこそが、人を癒す力になったと感じてます。 くにいかつひろ

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3、みんなちがっておもしろい

國井家家訓の3つ目は、みんなちがっておもしろい。

これは、金子みすゞの「みんなちがってみんないい」とほぼ同じですね。パクリですね。
日本人は「長い物には巻かれろ」とか、「郷に入れば郷に従え」など、集団と個人が対立した時に、集団を優先させるところがあると、僕は思います。

僕が大学の時のゼミの先生がグループワークという福祉援助技術の専門家で、そのグループワークの講義がすごく好きでした。
グループ。要するに集団というものは、非常に恐くもあり、ものすごい癒しの力がある。諸刃の刃である、ということを教わりました。
集団が集団を維持しようとする時に、特定の個人を排除しようとすることで、他の構成員が結束を強める、という側面があります。いじめの構造でもよくわかると思います。集団というものは本当に恐ろしい。グループワークは集団の相互作用を扱って、援助するのですが、その集団の相互作用、グループダイナミクスと言うのですが、「グループダイナミクスを扱うものはダイナマイトを扱うほどの注意深さを持たなくてはいけない」という言葉があるほど、集団が個を排除する時の破壊力は恐ろしいものがあるということです。

そしてKY(空気が読めない)という言葉を生み出した日本です。他者と同じであろうとする気持ち、集団から排除されることを恐れる気持ちは他の国の人々と比べて、極端に強いのだろうと思います。そして個性的な人、輪を乱す人は弾かれる。

日本でこれから生きていこうとする子どもたちに対して、世の中にはいろんな人がいて、みんなちがって、それがすごくおもしろいのだ、と伝えたい。そう感じて欲しいし、それを体現して、みんなが個性的な生き方に寛容であってほしい。
人と違うことこそおもしろい。違うからこそ、その人らしいと言える。

こういうことを大人が言っていても、大人自身が本当にそう思えていないと子どもには伝わらないのが難しいですね。
大人は自分ができてもいないことを子どもに強要する。さもそれが良いことで当然のことのように教えておきながら、自分はできていない。
だからこの國井家家訓も絵に描いた餅化しかねない。
でもそう考えると、國井家家訓というのは、やっぱり違うかもしれない。
國井家みんなひとりひとり、親も一緒に、そういう生き方を目指そう、という行動指針かもしれない。

そう考えると、少し楽な気持ちになってきた。
だって、失敗するのを恐れるときもあるし。。。
親ってこんなんでいいのか。
でも、それが事実だから仕方ない。
いくら子どもに対しても、偉そうに嘘は言えない。

一緒にそういう生き方を目指す同士、ということで、
3つ目の目指すことは、「みんなちがっておもしろい」でした。

なんか3つ目にして、自分の底の浅さを露呈し始めてる感が否めませんが、後には引けないので、明日は4つ目で。