ホントの自分と 生きてくブログ ~自己受容メソッド~ くにい かつひろ

子どもに本当の自己肯定感をつけさせたい。生きづらさを抱えている様々な人たちに本当の自己肯定感をつけてもらいたい。職場の部下の自己肯定感を高めて、やる気をもって仕事に取り組んでもらいたい。すべての人たちが、本来の活き活きとした自分の人生をスタートさせる方法『自己受容メソッド』。それを書き綴っています。『自己受容』をしていくと、人生にとんでもない革命が起こる。。。自分の奥底にある感情こそが、本来の自分の生き方への道しるべ。

過去ブログ9  4、他者に貢献する

4、他者に貢献する

國井家家訓としてブログで書いてきましたが、何よりも、不登校、ひきこもりの人々や、その親御さんにとってものすごく意味があることとして紹介していきます。そう思うからです。

4番目は、他者に貢献する。です。
アドラー心理学では、「幸せは他者貢献である」と断言しています。ちょっとシンプルすぎるけど、僕は大いに賛同します。
子ども達と関わってると、この事をとても強く感じる時があります。それは、お手伝いをめちゃくちゃしたがる、という時です。下の娘は4歳ですが、僕がご飯を作っていると、絵を描いて遊んでてもほっぽり出して、「てつだうー!」と言ってきます。実際4歳児に手伝ってもらうというのは、手間が増えるだけですが、できるだけ本当に手助けになることを仕事として渡すようにします。例えば、胡麻すり、野菜切り、フライパンの物を弱火で焼いているときに、混ぜてもらうなど、なんでも良いんですよね。とにかく「他者に貢献できること」これが子どもでもすごく嬉しくて楽しい。
僕はこの時の言葉掛けで気をつけていることがあります。
それは、「ちゃんと手伝ってえらいね」と言わないこと。僕は子どもに手伝ってもらった時は「ありがとう。助かったわ。」と伝えます。
僕は、「褒める」ということを昔から疑っていました。というのも、褒められたときに、「いやだな」と感じることが僕には何度もあったからです。
1つ目は、上から評価されたな、と感じた時です。横の関係ではなく、縦の関係に置いてるな、と感じる時に、なんかプライドが傷つけられた、と感じる時がありました。
2つ目は、褒めている人の「意図が見えてしまうとき」です。褒めることによって、ぼくの意欲を引き出して、自分の思う通りに動いて欲しいんだろうな、と感じてしまう時です。
3つ目は、褒められると、意欲がなくなる時があったことです。自分的に褒められなくても楽しかったのに、なんか褒められてしまうと、褒められることに意識がいってしまうように感じることがありました。(これは内発的動機、外発的動機というもので説明がつくことが最近わかりました。近々ブログで紹介します)
いづれの時も僕はすごく嫌いだったので、自分が人を褒める時にぎこちなくなる時がよくありました。

そこで僕が考えたのは、「褒める」ではなく、「感動」とか「共感」とか「感謝」というものに置き換えてみることです。そうすると、俄然気持ち良く伝えられるようになる。

なんか世間では、なんでもかんでも褒めるのが良いという認識があって、子どものこともやたら褒める傾向があるけど、僕はそれは危険だと思います。
このことについてはいつか書きます。

なんにしろ褒めるは注意して扱う必要がある。

と思っていたら、アドラー心理学では褒めるを否定するそうで、嬉しいですね。
他にも、サドベリースクールという非常におもしろい取り組みをしている学校でも、褒めるを否定するようです。デシという心理学者も褒めるという外発的動機の副作用について言及しています。
なので、褒める→感動、感謝、として、みなさん使ってください。

話は少しずれました。他者貢献です。
子どもの例を出しましたが、子どもの感覚は正直です。他者に貢献できることが本当に嬉しいのです。
じぶんが大好きなこと。今までの経験で積み重ねてきたものを一度振り返ってみて、それを使ってだれかに他者貢献できるのではないか。そこが幸せに生きていく上でのひとつの道になるのではないか、そうかんがえています。

自分は価値がない、生きている意味がない。そう感じている方。他者に貢献なんてできるわけがない、そう思っていると思います。僕もそうでした。
でも必ずある。あなたなりの他者貢献、探しましょう。

震災で被災した方々が支援を受け続けることで、どんどん元気を失っていった、という話しを聞きました。他者に支援を受け続けるだけでは元気がなくなる。
でも、逆に被災地の物を使ってボランティアに喜んでもらうような料理を作ったり、物を作ってあげたり、そういうことをすると途端に被災者達は元気になる。

僕の今テーマとなっている本があります。
「ケアの本質」という本です。
本質的なケアとは何か。
本質的なケアとは、ケアすることだ、とその本ではいっています。
aさんがbさんを支援して、bさんが幸せになったとする。その時、最も本質的なケアを受けているのは誰か。支援をしたaさんなんです。これはものすごいリアリティです。絶対にそう。

だから僕の理想とする支援者は、「支援されることができる人」です。これは逆転の発想。でもいるんです、そういうスーパーな人が。

ということで、他者に貢献する。人をケアする。これこそ人が元気になり、自信がつき、幸せになることなんです。

他者貢献。子どもの頃から、くせのように他者貢献のチャンスを狙うようになること。それが幸せへの近道だと思います。
自分にとっての、自分なりの、自分らしい他者貢献。ぜひ吟味していただきたい。

ちょっと盛り込みすぎた。

でも、1日1回1時間。ブログを書くときの國井は本気です。

次回は最後5つ目です。