生きづらさをやさしさに変える くにい かつひろ

繊細すぎて苦しかったその生きづらさこそが、人を癒す力になったと感じてます。 くにいかつひろ

過去ブログ12  なぜ不登校したほうがいいか

なぜ不登校したほうがいいか

昨日の続きで、なぜ不登校をしたほうが良いと思うのか、ということについて書きます。

ひとつは、ドロップアウトをしておくと、人にやさしくなれる、ということです。

僕は、北星余市高等学校という、高校に行きました。ヤンキー先生で一時期ドラマ化されたりした高校です。不登校とか、高校中退という人が集まるとんでもない高校なのですが、不良と呼ばれる人も、暗ーい感じの生徒も、みんな「傷」を負ってきていました。社会からはじかれた、社会に所属できなかった、というなにか共通の阻害された同士の連帯感のようなものを感じていました。そして、その傷ゆえに、傷を負った人の苦しさを知っていて、なんというか、「みんなやさしい!」と感じました。苦しみを知ると、苦しみの扱いも知ることができる、というか、「お前はそれでいいんだ」という無言の空気を感じることができました。それが大きかった。これは「傷」を負った人特有のやさしさだと感じます。

もうひとつは、心理学の視点から。
今の日本は操作主義社会と言われています。便利な世の中になり、不自由のない生活を送ることができているゆえに、現代人は不完全な全能感、万能感を持ってしまうと言われています。この不完全な全能感を持ってしまうと、思い通りにいかないことに対する耐性が弱まる、と言われています。自分のことを考えても、まさにそう、と感じます。そこで必要な経験となるのが、「不自由な環境」や「無力感を感じる」ということです。自分の力ではどうにもならないことに遭遇して、それを受け入れることで、全能感を手放し、自分のリアルに立つことができます。そこからがスタート。
そういう意味でいうと、不登校なんてまさに、「不自由な環境」であり、「無力感を感じる」ということです。なんておいしい経験でしょうか。
それによって地に足がついた歩みを進めることができます。

3つめは、人と同じでいようとしなくてすむ。ということです。日本では、ひととおなじであることを要求されることが大変多いです。これは非常に大変なことで、生きにくいはずなのですが、日本人は非常に得意で、無感覚な形でそのまま過ごしていたりすると思うのですが、不登校をしてしまうと、見事に、そういったことが崩れます。一人でいざるを得なくなる。この時に、ひとりぼっちを経験して、それでも良いと思えることこそが、大事だと思います。
僕が尊敬する知り合いのカウンセラーは、区別は健康、一緒にすると病む、という言葉を言っていました。お互いの課題を分離して相手の課題と自分の課題を整理して、相手には立ち入らない、立ち入らせない。それが健康でいる秘訣であるとのことです。
そこにきて、不登校は他者と同一化する機会を奪われたようなもので、望ましい状況と言えると思います。

他にも細かい面はありますが、大きくこの3つが、不登校、ひきこもりこそ、素晴らしい体験だ、と言える根拠です。