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ホントの自分と 生きてくブログ ~自己受容メソッド~ くにい かつひろ

子どもに本当の自己肯定感をつけさせたい。生きづらさを抱えている様々な人たちに本当の自己肯定感をつけてもらいたい。職場の部下の自己肯定感を高めて、やる気をもって仕事に取り組んでもらいたい。すべての人たちが、本来の活き活きとした自分の人生をスタートさせる方法『自己受容メソッド』。それを書き綴っています。『自己受容』をしていくと、人生にとんでもない革命が起こる。。。自分の奥底にある感情こそが、本来の自分の生き方への道しるべ。

過去ブログ14  挫折

挫折

今日は挫折について、書きます。

挫折に関して思うことは、「ちゃんと挫折できているか」ということです。
「真の挫折」と「中途半端な挫折」があると思います。
というのも、全身全霊をかけてやって、それでもできなかった、という時にしか、真の挫折はできないと思ってます。
真の挫折を恐れて、本気を出さなかったり、他者のせいとか、周りのせいとか、社会のせいとか、時代のせいにしたりしてしまう。
そうすると、「本当の自分だったらできていた。」という可能性を生きることができます。
小説家になりたい、という人がいて、その人に、今まで小説とか書いてみたことあるか、と聞くと、ひとつも書いたことがなかったりする、という話を聞いたことがあります。その人も「小説家になれる可能性のある私」を生きていたいわけで、本当に小説を書いてしまって、出版社の目に触れるようなことがあれば、自分の可能性をリアルに実感せざるを得なくなるわけで、それは怖いわけです。
そうやってリアルな自分と向き合うことが怖いから、向き合わずに生きられる方法を選んだりすると思います。

僕の不登校なんかは典型的な「中途半端な挫折」だったように思います。
ちゃんと通えていたら、いい高校に入れた。もっとすごいことができた、と高校1年の1学期くらいまでそう思っていたりしました。
いい高校に入れたはずという可能性を生きたかったのだと思います。

挫折をしっかりやることの意義は、S&B、スクラップ&ビルドの比喩でわかると思います。
中途半端な挫折だと、スクラップが中途半端になってしまうため、ビルのがれきや残骸がのこっている状態になります。そこに新たに建物を建てようとしても、全然うまくいかない。
だから、真の挫折をして、がれきも残骸も綺麗に取りのぞけたときに、ようやくちゃんとした建物をビルドできるようになるのです。
したがって、中途半端に挫折してる状態では、いつまでたっても次のステップに進めない、と感じます。

僕の場合、不登校だけでは、中途半端な挫折でした。でもその後高校生活で、自分のショボさ、人間の小ささをまざまざと見せられ、突きつけられました。
人に自分の過去を隠そうとしていたこともすごく恥ずかしかったし、自分よりもはるかに頭が良い暴走族の人がいたり、僕がわがままを押し通そうとしたために、寮の管理人に対して、担任に土下座をさせてしまったり。。。。
僕にとっては、ひとつひとつ鼻をへし折られる経験で、ひとつひとつがれきを取り除く経験ができたのだと思います。

そして、ようやく進むことができた。

それと、妻と友達と3人で話していて、面白いことがわかったことがありました。
それは、妻とその友達は、海外に留学したことがあったのですが、二人は留学が楽しかったのだと言います。
でも、留学がうまくいかなくて、やめてしまう人がいる。
その違いはなにかということを考えた時に、留学がうまくいったその二人に共通する点があったのです。
それは、「何もできない自分と出会えたことが嬉しい」という感覚です。
留学して言葉が通じない、その中でも懸命にやるけど、じぶんの能力では全くうまくいかない。この経験は辛いだろう、と客観的に思うのですが、妻とその友達曰く、「それが楽しい!」・・・・そうです。
ここに大きなポイントがあると思いました。
自分の能力ではどうにもならない、無力感。挫折感。これを味わう。でも、それこそ、スクラップで、次のビルドが可能と感じられると、楽しくその場にいられる、というか、むしろその場にいることこそ、自分の成長につながると感じる。自分の能力の至らなさを突きつけられる厳しさのすぐ隣に、大きな成長につながる一歩が見える。
この感覚こそ、真の挫折→本当の意味での成長への一歩を踏み出せる、ということ。これがポイントだと思いました。

僕は障害福祉の現場で10年働いてきましたが、仕事を続けられる素晴らしい人の共通点は、障害者に自分の至らなさを突きつけられた時に、それを「快感」に感じられること、これだと思います。
「負けられる力」と名付けてもいいような感覚ですが、挫折が心地よい、という感覚。これがヒントな気がします。

長くなりましたが、挫折には「真の挫折」と「中途半端な挫折」がある、ということです。
そして、真の挫折は、まさに「リアリティをつきつめる」ということです。リアリティをつきつめると、自分の能力の限界に向き合わざるを得ない。
この厳しさは大変ですが、そのリアリティをつきつめる先には、すぐ隣にやさしい言葉が眠っている。これを活用することが、大事。

そして、僕の事例にもある通り、挫折は一回でしっかりできるわけではなく、時間を重ねながら、いろいろと経験して深まっていくことで、真の挫折に近づける気がします。

だから、真の一歩を踏み出すために、挫折を吟味しましょう。

挫折についてこれで、答えになっていれば幸いです。