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ホントの自分と 生きてくブログ ~自己受容メソッド~ くにい かつひろ

子どもに本当の自己肯定感をつけさせたい。生きづらさを抱えている様々な人たちに本当の自己肯定感をつけてもらいたい。職場の部下の自己肯定感を高めて、やる気をもって仕事に取り組んでもらいたい。すべての人たちが、本来の活き活きとした自分の人生をスタートさせる方法『自己受容メソッド』。それを書き綴っています。『自己受容』をしていくと、人生にとんでもない革命が起こる。。。自分の奥底にある感情こそが、本来の自分の生き方への道しるべ。

過去ブログ16 不登校や引きこもりから幸せに向かうための道しるべキット、リトマス試験紙②


リトマス試験紙の二つ目は、

「自分の課題」なのか「他者の課題」なのか、
というチェックです。

例えば、子どもが宿題をしない、という課題。
この状況の最終的責任を誰が負わなくてはいけないのか、あるいは、最終的な結末を引き受けるのは誰なのか、それを考えれば自ずと誰の課題なのかはわかります。
この場合、宿題をしないという結果を引き受けるのは子どもです。宿題をしないことで先生に怒られるかもしれないし、周りの人の評価が下がるかもしれない。そういった結果を引き受けることになるのは、子どもです。良かれと思って「宿題しなさい」とつい言ってしまうのでしょうが、それをアドラーは、他者の課題に踏み込んでいる、と言います。
この考えを聞いて、みなさんはどう感じますか。
かなり冷たいように感じる人もいるかもしれませんが、僕は素晴らしい、と思いました。
宿題しなさい、と声をかけることは外発的動機づけです。外発的動機づけが高まると、内発的動機が弱まる、という特性があります。なので、もしかすると、テレビを観た後に宿題をする予定だったところを、親が課題に踏み込むような言葉かけをしてしまったがために、やる気をなくす。こういう構図はあると思います。
そうではなく、親がなにも言わないと本当になにもしないんですよ、と言う人がいるかもしれません。
そしたら、なにもせずに、宿題をしなかったその後の「結末を子どもに体験させればいい」、と僕は思います。
その結末を経験して、子どもは本当にダメになりますか。
「宿題しなさい」と口うるさく言うことによって、どんなメッセージを子どもが受け取るかというと、「信頼されてない」というものです。
海外から日本の家庭に留学してきた人の多くが感じていることに、「そっとしておいてくれない」ということがあるそうです。朝9時に出発するということを伝えておくと、8時に一度「もう8時ですよ〜」と声をかけにきて、さらに10分おきに声をかけに来る。これは海外の人からすると、幼児に対しておこなうことだと言います。でも、この話を聞いたときに、(この感覚、自分にもある・・・)と正直思いました。
こういった子どもの課題に踏み込み、飲み込もうとすることを心理学では「グレートマザー原型に取り憑かれる」と表現したりします。

長くなりましたが、課題をきちんと分離する、ということ。
不登校も、ひきこもりも、誰の課題でしょうか。
そして、その結果責任を、最終的に引き受けるのは、誰でしょうか。
結果責任を引き受けることになる子どもを親御さんは信じられませんか。
課題を分離し、子どもの人生を生きずに、親も親の人生を生きる。
これは、子どもにも言えます。自分の課題なのに、親のせいにしていないか。親がなんとかしてくれない、ということに対して苛立っていないか。
そうだとすると、厳しいようですが、それはお角違いになります。
もし、何か手助けをして欲しいなら、「この部分はぼくの課題なんだけど、自分だけではどうにもならないから、手助けしてくれないだろうか」と伝える(こんな表現をする人はいないでしょうが、こういうことを自分の言葉で表現することです)
それをして、ようやく手助けしてもらえるわけです。
でも、「こんなふうになったのは、お母さんたちのせいだ!」と言う子どももいます。ここまでこじれている状態だと、ときほぐすには相当長い時間を要しますが、それでも、なんとかなります。それについては、またいつか書きます。

課題の分離は、親にとっても、子どもにとっても、厳しいことを突きつけることでもあります。
ですが、きちんと誰の課題かを整理することからしかスタートできません。
課題を解決するのは、自分以外、誰もいません。
自分の人生に主体的になれなくては、もはや生きていけない。そう思います。

まずは、親も、子どもも、自分の人生の主人公になる。
そして、相手の役回りの邪魔をしない。相手の人生の中では名脇役になる。
これが課題の分離です。

厳しくもありますが、複雑にこんがらがった課題を整理できると、「相手のこのことは気にするべきではないんだ」ということがわかり肩の荷が下りる、という側面と、「自分が取り組むことはまさにこれだ」とやることがシンプルになることで勇気が湧く、といった側面もあります。
なので、僕はこの課題の分離に希望を感じています。
課題を分離するということも、このブログのテーマ、「リアリティをつきつめる」ということです。その先は、やはりやさしい。あとは、やるだけ、ということが残るわけです。


・・・以上です。

実は、リトマス試験紙2つ、かと思いましたが、
もうひとつ思いつき、それを今日紹介しました。

明日はリトマス試験紙の最後です。
それは、「存在(being)」と「行為(doing)」のチェック、というリトマス試験紙です。

明日の夜このくらいの時間に書きます。