生きづらさをやさしさに変える くにい かつひろ

繊細すぎて苦しかったその生きづらさこそが、人を癒す力になったと感じてます。 くにいかつひろ

過去ブログ19  不登校、ひきこもりの人たちを最も苦しめるのは誰か

不登校やひきこもりの人を最も苦しめているのは誰でしょうか。

大人でしょうか、先生でしょうか、上司でしょうか、会社でしょうか、国でしょうか、社会でしょうか、親でしょうか。

僕が一番だと思っているのは、「自分」です。

自分が一番自分のことを苦しめる。

どういうことかというと、不登校の場合、学校に行っていないわけです。
それで、親や教師が一定期間再登校を目論み、アプローチをしてきたとします。それでも本人はガンとして登校せずにがんばり、それに親も教師も根負けして、「わかった、君が好きなように生きることがいいんだ」と大人の側の腹が据わったとします。それでも本人はずっと苦しみ続けたりします。なぜかというと、不甲斐ない自分に対して、1日中「お前はダメだ」という言葉を投げかけ続けるからです。周りがいくら変わっても、本人が変わり始めるまでは時間がかかったりします。
この自己否定のことばが日常化してくると、すべての出来事が「自分はダメなんだ」という結論に結びつくように考えるようになります。
ちょっとした寝坊も、「だからお前はダメなんだ」。
少し食べ過ぎても「だからお前はダメなんだ」。
などなどです。
そもそも、不登校だと、存在自体がダメと感じていて、全く無意味なゴミのように自分を感じてしまいます。(言い過ぎのようですが、自分がそうだったので、同じような人が何人もいると思います)他者から必要とされるなんて全く思えない。そうなると、ただ息をしているだけでも「お前はなんで生きてるんだ」とか、そんなことまで浮かんできます。
このように、日々の言葉かけ、自分に向けた一言一言が自分を苦しめます。

これを変えるのは、本当に難しい。
自分に投げかける言葉をプラスのものに転換していくには、いろいろなことがひつようだとおもいます。
ひとつは自分のことをそのまま受け止めてくれ、信じてくれる他者がいること。
二つ目は、自分が大好きなことを通して、小さな他者貢献を少しずつ積み上げていくこと。
3つ目は、不登校をしてしまったそんな自分も自分なんだと受け容れられるようになること。
この道のりは、非常にゆるやかです。
なにか劇的なことが起きて、その日からドラマのように別人になることは、現実の中ではほぼ無くて、いくら感動する場面に出会っても、明日も変わらず自分のことを責めてしまう自分なんです。
根気よくそんな自分と付き合っていくしかない。
でも、「そんな自分を変えたい」と心の底から思えたら、確実に変わることができます。僕もゆっくりでしたが、そうなりました。
だから、時間はかかっても、そこは必ず変わるので、ある意味楽観視してもいい、と今は思ってます。
そういうことを、今苦しんでいる人、その親、教師、周りの人たちに知ってもらいたいですね。

実は、自分を責めるという段階に入る前に、他者や大人や親や社会を徹底的に責める、という段階もあります。その両者、自分を責める日、他者を責める日というのはスムーズに移行していくというよりは、行ったり来たり日替わりだったりします。

また、自分を責めるというので、最も切ないケースは、虐待された子ども達です。
信じられないかもしれないですが、親から虐待されている子の、かなりの大多数の子達が「自分が悪い子だからぶたれるんだ」とか「自分がいけない子だからお父さん、お母さんに嫌われるんだ」とか思ったりするんです。信じられないけれども、そう考える時期が大多数の被虐待児に共通してあったりします。
大学時代に虐待のことを勉強したり、親と暮らせない子ども達を支援する仕事をしていた時期があったので、肌感覚としてわかるのですが、この事実には本当に驚かされました。

他には、精神的な病のほぼ全てが、自分を苦しめまくることによって発症するという事実からも、自己否定の怖さはわかります。統合失調症、躁鬱など、どれも強い自己否定感が出発点です。

自己否定についてということで、不登校や ひきこもりからはなしが離れてしまいましたが、要するに、自己否定のことばは怖いということです。
そして、なんの疑問も持たずに年中使っていたりするというところに厄介さがあります。
これにぜひ対抗していきたいです。

こうすれば自己否定の言葉から解放されましたなどの経験談があれば是非知りたいですね。

それでは、このへんで。