生きづらさをやさしさに変える くにい かつひろ

繊細すぎて苦しかったその生きづらさこそが、人を癒す力になったと感じてます。 くにいかつひろ

過去ブログ21  娘の不登校理由

娘の不登校理由

長女は小学校1年の2学期から不登校になり、3学期に私立の学校へ転校しました。

 

いまや不登校の頃のことを思い出せないくらい元気になり、楽しそうに学校に通っていますが、当時はほんとうに辛そうでした。

 

その頃に、心配していた妻の母宛に僕から手紙を書いたことがありました。長女の状況についてや、なぜ不登校に至ったのかなど、僕の考えが書いてあったので、今日はそれに加筆、訂正を加えたものを掲載してみようと思います。

当時は私立の小学校へ転校することを検討していた時期でした。

 

 

○ ○ 様

 

 ご無沙汰しております。先日はお世話になりました。

 娘のこと(手紙では娘の名前になっていますが、以下、娘で統一します)心配させてしまい申し訳ありません。

 

この間、様々なことを考えました。なぜ学校に行けなくなったのか、本人にとって何がつらいのか、どうすれば娘にとって良い生活を送れるようになるのか、夫婦間でもかなり長い時間話しました。今も、毎日毎日話しています。

 

その中で、娘が行けなくなった理由は5点あると思っています。

1点目は、1年生のクラスメートと、担任の先生のマッチングが娘にとって良くなかったことです。

今年の1年生のクラスは、ものすごく元気で活発な男の子たちが多く、学校としても厳しくビシッと児童を指導できるような先生を配置したように感じます。そのため、しっかり怒鳴ったり、厳しくすることで、静かな授業風景を維持するようになっていて、他の学年と比べても、整然とした教室になっているようです。他の親が見に行った時も、驚いていたくらいです。娘はその中でかなり萎縮していたようです。

2点目は、宿題や勉強についてです。宿題が出ると娘はやらずに学校に行くことができませんでした。でも、やりたくないのです。やりたくないために泣きながら、半分パニックになりながら宿題をしていました。そのことを担任の先生に伝えると、「無理してやらなくていいよ」と娘に伝えてくれたようですが、娘はそうはできませんでした。また、字を書いたり、算数をした時に、バツをつけられることを恐怖に感じているようでした。バツがつかないように、過剰に心配して勉強をしていました。それが宿題のパニックにもつながっています。バツをつけられても大丈夫と感じられるようになってほしいので、本人にどう教えていこうか考えています。

3点目は、娘が先生の言うことや、学校のルールなどに対して、過剰適応してしまっているということ。

担任の先生曰く「○○(娘の名前)より手のかかる子がいっぱいいるので、なにも問題なかったんです」と言っていました。その状況が親としてもすぐに目に浮かんできました。どういうことかというと、娘は大きな声や、怒られることを怖がってそれを避けるように、ふるまうことができるので、怒られないように過ごすことができていたと思います。友達と遊んでいて嫌なことがあった時も、比較的その子に合わせて、問題ないようにその場を遊ぶことができます。(※このあたりは、最近の娘の様子を見ると、そんなことはなく、他の子にそれなりにしっかり迷惑をかけながら、自分の主張を通しながら遊んでるな、と今は思います。当時はそういう気の遣い方もしていました。)ただ、そういう日は家に帰ると、ものすごく荒れます。自分が無理しながら相手に合わせてしまうために、ストレスが大きくなってしまうのだと思います。1年生のクラスの中でも、先生との関係性の中でも、そういったことが起きていたと思います。この問題も、少しずつ本人が取り組まなくてはいけない課題で、学校を変えたからといって付いて回るので、親としても適切な関係の持ち方を折に触れて教えていきたいなと考えています。

4点目は、担任の先生が言うことと、僕たち親が言うことの違いに戸惑ってしまったことです。

勉強や宿題の必要性についてなど、先生が伝えたいことと、僕ら親が大事にしたいと考えていることとのギャップが大きいなと、学級通信を見たり、先生の言葉を聞く中で感じていました。しかし、娘は上記にもある通り、過剰適応してしまう子です。先生が言うことを必死に守ろうと学校では過ごしています。なのに、家に帰ってきて、「学校で先生にこんな風に言われたよ」と娘が言ったことに対し、「それは先生の言う通りではないよ」とか、先生の考え方が正しいわけではない、ということを伝えてしまっていました。というより、先生の言うとおりに解釈してほしくなかった、というのが本音です。そうすると、娘としては親と先生どっちの話を聞けばいいのか、わからなくなってしまって混乱していたのではないかと思います。もう少し大きくなれば自分で判断しなさいとも言えると思いますが、いまの段階では難しいなと感じます。これは親として非常に反省している点です。

5点目は、テレビがない、ゲームがない、玄米菜食、化学物質ではなく自然素材を大事にする生活、などの我が家の生活スタイルが、一般家庭と結構異なっていて、他の子どもたちとの話題に違いがあり、話が合わないことが多かったのではないか、ということです。そういうことを気にしない子もいるかもしれませんが、娘はそういうことを気にしてしまう子だと思います。その部分でも友達の中に入りにくかったということがあったと思います。その点、転校することになる私立の学校に子どもを通わせている家庭は、我が家とほぼ同じような生活スタイルを送っている家庭が多いので、その点は改善されるように思います。

 

また、発達障害的な特徴、という点ですが、娘は場の転換、急な予定変更等があると、パニックを起こしてしまうことが度々ありました。また、入浴を極端に嫌がったり、髪の毛を洗うことを極度に嫌がることもありました。これはいくつかある発達障害の特徴の一つで、その点で娘には非常に弱いところがあるので、発達障害の特徴がうすくあるのかもしれないなと感じました。この「特徴がうすくある」、というレベルの状態はかなり多くの人に当てはまり、僕自身を見ても、思い当たる節があります。逆に「人が感じていることがわからず空気が読めない」という発達障害の特徴は娘にはまったく当てはまりません。そういう発達のでっこみへっこみを総じて見て、発達障害の診断を下します。学校でも何度かパニックになったことがあるようです。ですが、発達障害の診断はつかないと思います。ただ、本人の特徴、適切なかかわり方を導き出すために、信頼できるドクターが近くにいますので、近々一緒に話を聞きに行こうかと考えています。やはり生活を一緒に送る中で、驚くタイミングでパニックがあったり、そこからなかなか切り替わらなかったり、また、感覚過敏なのか、お風呂に入ることや、髪を洗うことを極度に嫌がる傾向があり、これらの特徴が障害ゆえなのか、精神的な問題なのか、特に気にせずに成長と共に自然と無くなるものなのか、ということを先生に聞いてみたいので、一度話を聞きに行こうかと考えています。これは本人に障害のレッテルを貼る、というわけではなく、親がより本人に適切に関われるようになるための学びだと捉えています。

 

 

 以上がこの間、僕が考えていたことです。自分が不登校だったものの、娘が不登校になる、ということを受け入れるのは思った以上に大変でした。娘から何を聞き出しても、的を得た答えは返ってこないため、悩みました。

 その中で、いろんな人と話、相談に乗ってもらいながら考えてみたことが上記のようなことです。今後も引き続き娘が幸せな人生を送れるように考え続けていきたいと思います。

 

 この手紙を受けて、受け入れがたい考えがありましたらぜひ教えてください。まだまだ未熟な僕らですので、何かと教えてもらいながら、生きていきたいと考えています。

 

 今後とも、よろしくお願いいたします。

 

 

國井 一宏

 

 

こんな感じです。

 

娘は繊細なタイプであることプラス、発達障害的な場の転換、急な予定変更が苦手、感性が鋭いのか感覚過敏なところがある、といった部分の合わせ技で、1年生のクラスの場に馴染むことが難しかったようです。家庭の考え方や生活スタイルも足を引っ張っていたようで、その点は非常に申し訳なく思っています。

 

ただ、今思い返すと、なんとか頑張って無理やりだましだまし通い続ける選択をするよりも、思い切って転校できたことによって、より良い学校生活を獲得できたなと思います。親も私立に通わせる腹が据わった、良い機会になりました。

 

僕にとってはものすごく学びの多い時間でしたが、娘にとってどういった意味をもつ数ヶ月だったのかは、娘にしかわかりません。

ただ、今は本当に活き活きと暮らしているので、よかったなーとおもいます。

 

以上が娘が不登校になった時のことです。

 

今日はこのあたりで。