生きづらさをやさしさに変える くにい かつひろ

繊細すぎて苦しかったその生きづらさこそが、人を癒す力になったと感じてます。 くにいかつひろ

過去ブログ22  不登校児たちが新たな世界を作る。 その形を模索する会。

不登校児たちが新たな世界を作る。 その形を模索する会。

 

 

ブログ開設から3週間を経過しました。

不登校ゆえに幸せになれる、ということを提案したくて、みんなに実感してもらいたい、という気持ちが強くなっています。

その上で、いろんな人と話がしたくて、

不登校について考える会」

というものを作ろうと考えてみました。

パンフレットの原案も完成。

 

この会のネーミングは、参加する人のハードルを下げることによって当事者やその親や、教師、専門家以外の人にも来てもらってざっくばらんに話し合える場を、と考えました。

 

でも、なんだか乗り気になれない。

あまりワクワクしない。

 

それはなぜか考えていました。昨日のブログにコメントをいただいていて、それに返信したのですが、その自分が書いたものを見て、「なるほど」と思いました。

 

それは、「僕の意見と正反対の意見の人に、理解してもらおうと努力する時間と、労力って、、、、ないな」ということです。

 

具体的に言ってしまうと、「不登校なんてけしからん。怠けてるだけなんだから、引きずり出してでも学校に行くべきだ」というような考えの人です。

 

今もいる。きっといる。

 

くる。きっと来る。(by貞子)

 

おそらく、「不登校について考える会」と謳っている会では、そういう人も来るかもしれない。しかも正義感満点で鼻息荒く出席してくる。

 

すると、その会の中で、そういった人にどう対処するかに終始してしまいそう。

しかも、かなりの精神的ストレスを感じながら、折り合い点を模索し、頑張りまくっても、たいして成果が上がらない。

 

確かにそこから学びがあるかもしれない。

 

でも、ぼくはそうやることで、みんなの意識を少しずつ変えていきたい、という主旨の活動をしたいわけではない。

・・・ということに今、気づきました。

 

そのスピード感では遅すぎる。

 

僕は、新たな生き方を見つけたい。

不登校のその後。今から15年先。

彼らがどんな仕事をして社会の中で存在感を発揮していけるか。

それに特化して真剣に考えていきたい。

みんなの知恵を貸して欲しい。

 

デューク大学の研究者であるキャシー・デビッドソンさんの研究で、「米国で2011年度に入学した小学生の65%は、大学卒業時、今は存在していない職に就くだろう」とありました。僕が最近注目している、NPO法人フローレンスの代表の駒崎弘樹さんが日経新聞に書いていた記事です。

 

また、グーグルCEOラリー・ペイジ「20年後、あなたが望もうが、望むまいが現在の仕事のほとんどが機械によって代行される。」という発言もあります。

 

なにが言いたいかというと、もはや僕らには20年後の主流の働き口がなんなのか、全く予想ができない、ということです。

 

学校にまともに行ったとして、本当に幸せに食べていけるのか。学歴とか、学力が、幸せの保障をしてくれるのか。

 

はなはだ疑わしい。

 

だからと言って、漫然と不登校して家にずっといたとしても、しあわせに生きていける保障がないのは同じです。

 

ようするに同じ。

 

学校に行こうが、行ってなかろうが、同じです。

 

だから、新たな生き方を模索しなくてはいけない。

 

もはや、「不登校が社会の新たな仕組みを作る」「不登校が日本を救う」「不登校が飯の種になる」

そのくらい言ってしまってもいいのではないか。

 

「のんきに学校に行ってる場合じゃないぞ!早く不登校しなきゃ!」そんなふうにみんなを焦らせる。

 

・・・・・・みたいな(笑)

 

おだっちゃいました(北海道弁で「調子に乗りすぎた」的な意)。。。。

 

でも、そのくらいのノリで新たな生き方を作り出していくことが、これから必要だと思います。

 

なので、そんな会を作る。。。予定。

 

みんな、オラに力を(by元気玉な悟空)