生きづらさをやさしさに変える くにい かつひろ

繊細すぎて苦しかったその生きづらさこそが、人を癒す力になったと感じてます。 くにいかつひろ

過去ブログ24  不登校の子が現実と向き合うために必要な第一歩とは

不登校の子どもが現実と向き合い、それを直視して歩み始める、というのは、とても難しいことです。

現実の自分より高いところに自分を置いて誇大妄想のようになったりします。

逆に自分を卑下してしまい、なにもできなくなる、ということもあります。

 

でも、自分が置かれている状況と向き合って、今できる第一歩を歩み始める。究極に今に焦点を当てて、今自分にできることを導き出していき、それをやる。

 

これをすることでしか、人生は動き出さないと思います。

多くの元不登校という人たちが、厳しい現実の中、「今やれること」に焦点を当てて、それをやってみる、という刹那を繰り返していくことで、社会の中に自分の場所を作り出していったはずです。

 

では、どうすれば、「今」に焦点を当てられるようになるか。

 

僕が考える一番の条件は、「自分のことを受け入れてくれる場所(人の側)に身を置くこと」です。

 

ダメダメで動けなくなって、全てから逃げてしまっているように感じる自分。そんな自分でさえも、「それで大丈夫だよ」と素で言ってくれる人の側にいること。

この「素で」というところが大事です。ポーズや、意図があるわけではなく、本当にそう思ってくれる人の側にいること。それがものすごいインパクトなんです。

そういうふうに思ってくれて、言葉をかけてくれる人、そういう人がいるところで、その空気に触れ続ける。その空気の中で息を吸っているうちに、「自分はこのままでも『アリ』なんだ」と感じられるようになるはずです。

 

でもそんな人、いるわけない、と思ってしまう人が大多数なはずです。

 

ですが、必ずいます。

しかもかなりの数。

 

不登校児として、社会の中で活躍している人。

不登校児の親。

不登校真っ最中の人。

なんらかの心の傷を負った経験のある人。

 

こういった人々はもちろんですが、それだけでなく味方になってくれる人は、実は何人もいます。

 

不登校の人にとっての世界というものは得てして「家族」だけです。そうなると、家族が自分のことを受け容れてくれてなかったりすると、

 

「家族が受け容れてくれない」=「世の中の大多数の人が受け入れてくれない」

 

と感じてしまいます。ですが、そんなことはない。

 

こう見ていくと、家族が受け容れてくれていない不登校児は、最悪です。

自分を守る人がどこにもいない。

そうなると、なんとか自分の心を保つために、部屋にこもる。

家庭内別居ならぬ、家庭内ひきこもりです。

でも、それ以外生きる術がない。

 

だから、家族が本人を信じて、そのまま、ありのままを受け容れるというのが大事だということがわかるとおもいます。

 

ですが、ここが難しいところで、

「家族だから」本人を受け容れられないのです。

責任がある親だからこそ難しい。

 

本人が社会人として独り立ちするまで責任を担う親としては、その責務を全うできるか否かの大きな瀬戸際にいるわけで、不登校なんてものは「かなり受け容れ難い状況」ということです。

 

だから難しい。

 

だからこじれていく。

 

そのまま普通の親として関わっていたら、うまくいかないのは当たり前です。

 

だから「不登校児の親」になったら、「より良い不登校児への関わり」を学ぶことが大切なことだとおもいます。

「あなたのことを信じてますよ」

とか

「あなたのことを受け容れてますよ」

ということを相手に感じてもらうには、

 

「スキル」が必要です。

 

漠然と親が感じているだけでは相手に伝わらないので、伝え方も覚えることがひつようだとおもっています。

 

もうひとつは、「より良い環境作り」です。

親だけでは、限界がすぐに来ます。

そこで、頼れる人に関わってもらう機会や、頼れる場所に通ってもらう機会がポイントです。

 

様々な角度から「受け容れられている」というメッセージをかけまくる。

それが周りの人がおこなえる数少ないことのひとつだとおもいます。

 

以上です。

 

「自分のことを受け容れてくれる場所に身を置くこと」が大事ということです。

 

家族が受け容れてくれない場所であれば、ぜひ抜け出しましょう(笑)

 

いくら家族でも、マイナス要因です。

 

家族は子どもにそう思われないようにする、ということが最初の目標かもしれません。