生きづらさをやさしさに変える くにい かつひろ

繊細すぎて苦しかったその生きづらさこそが、人を癒す力になったと感じてます。 くにいかつひろ

過去ブログ25  アドバイスしない というスキル

昨日のブログで「不登校児の親は、不登校をしてる子どもに適切に関われるスキルを学ぶ必要がある」と書きました。

 

そこで、今日は、そのスキルをひとつ紹介します。

 

それは、「アドバイスをしない」というものです。

 

アドバイスをしない、ということがスキルなのか、と感じる方もいるかもしれませんが、僕はそれが技術だと思ってます。

 

普段の普通の会話の中で、相談を持ちかけられたり、落ち込んでいるところを見た時に、大概9割がたの人が、「アドバイス」をしているようにおもいます。

 

仕事でヘマをして上司に怒られてしまった、という人がいたら、「挽回できるように次こそは頑張ればいいんだよ」とか、「そんなに落ち込んでないで、忘れる忘れる!」だとか、「ミスをした原因の分析がまず必要だよ」など、本人に対して良かれと思うアドバイスを無意識のうちにしています。

 

これは、「落ち込んだ状態でいることに耐えられない」からアドバイスをしてしまう、という側面があります。カウンセラーと言われている人々は、ここがすごいです。落ち込んだ状態の相手の状況に、一緒に身を置くことができるのです。

 

アドバイスという手段で功を奏す場合もあります。

本人の気持ちに沿って、適切な的を得た答えを示してくれていたりすると、そのアドバイスが非常に有益になったりします。

 

ですが、当てずっぽうにアドバイスしている場合も多く、本人にとってあまりしっくりこない答えだったりすることも多いものです。

 

普段の会話の中でなら、このやりとりも普通ですが、不登校児の場合は、ちょっと受け取り方が変わります。

不登校児の場合、そういったアドバイスは大概「今のあなたはダメだから改めなさい」というメッセージになりがちです。本人がそう受け取る可能性が非常に高い。

 

また、アドバイスをするという行為は、上から下へという関係性の現れと捉えられるし、「自分のことを認めてない、変えようとしている」と感じさせてしまいます。

 

ですが、不登校児を見ていたら、一言物申さないと親がおちつけない、ということがあります。

 

でも、アドバイスは不登校児に対しては、本当に危険です。崖っぷちに追い込んでしまう可能性がある。

 

この危険性をしっかり認識していても、人との関わりでおこなってきた手法というのは、なかなか変えることができないもので、よほど意識していないと、まず、「アドバイス」をしてしまいます。

 

では、アドバイスをしないためには、どうすれば良いか、ということですが、それは他の手段を知り、それを使ってみて、使い勝手や結果を実感してみることです。それが自分にとってしっくりくるものであれば、その方法が徐々に自分の手段として馴染んできます。

そうなることで、ようやく自然とできるようになります。

 

では、他の手段ってどんなものがあるか、ということは明日以降書きます。