生きづらさをやさしさに変える くにい かつひろ

繊細すぎて苦しかったその生きづらさこそが、人を癒す力になったと感じてます。 くにいかつひろ

育休とは、家族の再構築でした。我が家の事例。

ブログを始めたのが、今年の3月21日でした。その時は、ロリポタッチというブログサービスを利用していまして、その後、5月に入ってから、はてなブログも利用し始め、ロリポタッチと、はてなブログを併用してきましたが、ロリポタッチが7月末で終わる、ということで、3月21日から、5月に頭までの記事をはてなブログに移しました。

面倒でしたが、自分にとってすごく大切な文章だったということを改めて感じることができました。

さて、20日ぶりくらいになってしまいました、ブログの本更新です。

前回は、育休による家族の危機を、4点述べて、そのうち3点がどうだったか、ということについて書きました。
以下がその記事。

では、最後の4点目、
④ 今まで顕在化していなかった家庭の問題があぶり出され、表面化してくる

について、書きます。

我が家で顕在化していなかった家庭の問題は、

「父性が欠落していた」

ということです。

現代の日本は「母性社会」と言われています。

母性とは、受け入れて包み込む、という性質。

父性とは、切り分ける、切り離す、という性質です。

これは、父親だから父性を担当する、というものではなく、性別などは関係なく、状況に応じて、家族の中で、父性を母親が担当したり、母性を父親が担当したり、母親が父性も母性も担当したり、ということになったりします。

その両者がいい感じで均衡を保ち、バランスが取れてる状態が必要とのことです。

そんな中、現代の日本では、父性的な、切り分ける、突き放す、というような機能が極端に弱い、と多くの心理学者や社会学者が言っているようです。

それは、個人的な実感としても、なんとなくわかる。
① 今のお父さんたちは、自分も含めて、とりあえずやさしい。あまり叱らない。
② 周りの大人たちも、はめをはずしてる子どもを見つけても、叱ることは滅多になく、とがめられる子どもはそういない。
③ 虐待事件などの影響がある現在。しっかりと叱ることを、人前でやるということにかなりの抵抗感があり、家の外など人の目があるところではしっかり叱れない。
④ 最近の育児には、「きちんと子どもの気持ちを受け止めていれば、いけないことはやらなくなり、まっすぐ子どもは育つ」という神話的な感覚があると、僕は思っています。かなり独断と偏見ですが。

そうなると、いけないことをしてしまった時に、ガツンと叱られる経験がなかなかできない、ということになる。

我が家でもまさに、上記のような状況でした。

このような環境に置かれていた、我が娘たちにどのような様子が出ていたかというと、

1、叱られても、諦めず、親が根負けするまでぐずる。

2、ちょっと叱られるぐらいでは、行動が止まらない。

3、娘たちは無意識的に、「どこかに抜け道がある」と感じていて、駄々こねがすごい。

こうなると、親が相当イライラして、かなりの怒りパワーをぶつけることで、娘の行動を止めたりしていました。

これはお互いに疲弊しまくる結果になっていました。

育休期間中に、このバトルが何度も繰り広げられました。
幸い仕事がないので、翌日の心配をせずに話し合える、ということで、妻とどういうことなのかをしっかり話し合い、國井家のウィークポイントとも向き合っていこう、ということで、いろいろと本を調べたり、講演会の動画を見た結果、「父性の欠落」というところに行き着きました。

なにが問題だったかというと、

① 妻ばかり怒り役になっていた(僕がやさしい父役しかしていなく、妻が悪役になりがちだった)

② 親がダメだと言っていたのに、子どもに最終的にゆずることが多かった(例えば、「今日はお菓子無し」と宣言していたのに、娘がかなり荒れた時に、「じゃあ一個だけね」という形で折れることがあった)

この②をしていると、「〜〜はダメ」という親の言葉の効力がどんどんなくなり、親の言葉が無力化していってしまいます。

また、僕が子どもを受け容れることが得意すぎたために、妻が悪役になりがちで、非常に申し訳ないこともわかりました。

この、行き当たりばったりな対応を改めて、

1、父の僕が毅然として、ダメなことは叱る。

2、ダメ、と言ったことは、最後まで通す。というか、最後まで通せることだけ、ダメと宣言する。

3、暴力は、國井家では、ゆるさない。した場合は、1人、居室にいってもらう。

を決めました。

まず、はじめに勃発したのは、次女の「食べ物投げ」事件です。

その日の夕飯のメニューで食べたいものがなく、明らかに、ふてくされた食べ方でした。途中から、「なんか食べたい!」「こんなのいらない」とご飯を箸で持って、投げました。そこで、「食べ物をそんなふうに粗末にしたらいけないよ。次にやったら、今日のご飯はおしまい」と僕から伝えました。すると、3分ほどして、案の定また、ご飯を投げました。そこで、「ごはんはおしまい」と伝えると、他のものも投げ始めました。もうダメだ、「このままでは、一緒にいれないから、部屋に連れてくよ」と言い、居室に無言で抱えて連れて行きました。ポイントは、ここで、大きな声で叱る必要は全くない、ということです。(タイムアウト法、と言ったりします。これについては、いつか、、、書くかもしれません。)
散々、大泣きで暴れましたが、とりあえずほっておいて、部屋から、僕は出ましたが、3分ほどして、部屋からでてきて、また荒れ始めたので、「まだ一緒にはいれないね」と伝えて、部屋へ戻しました。
それを、もう2回ほど繰り返し。
そのあとは、もう落ち着いていて、しょんぼりとしていました。そこに、近づき、
「食べたいものがなくて、残念だったんだよな」と伝えると、頷きました。
「本当は食べ物を投げるのは悪いことだって知ってるもんね。嫌な気持ちだから、やっちゃったんだよね。」と話しました。「でも、それでごはん無しになるのはびっくりしたかい?」
頷く。
「うちでは、ごはんを投げたら、その日は食べられないよ。」
無言。
「でも、落ち着けたね。絵本読もうか」
笑顔で、本を取りに行く。

これでよかったかはわかりませんが、こんな感じでした。

その後、長女は、風呂入る入らないを大声でやりあう一悶着があったり、しましたが、同様に対応しました。

1ヶ月ほどで、娘たちのだだこねが激減しました。

これは、暴論で、炎上覚悟で書きますが、
いまの子どもたちでADHD(多動)と言われている子達の一部には、我が家と近い形で、駄々こねにより親に根勝ちしてきた子ども達が誤学習しているパターンが一定数いるのではないか、と推測しています。我が家は、かなりそんな感じでした。

長くなってしまいました。

このような形で、父性を取り戻そうとしてみた育休でした。

とりあえずうまくいったような形に見えますが、まだまだ試行錯誤です。

とにかく、妻は悪役にならず、子どもが妻に助けを求めに行きがちになったので、だいぶいいなと感じています。

育休によって、國井家の根本的な課題に向き合えたことは、非常にありがたかったです。

では、このへんで。
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埼玉の実家のあたり。

なはず。