自分に自信がない人が、人生初の高額契約を獲得できるブログ~ セールスマインドコーチ くにい かつひろ

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居場所とはなにか。~生きづらさをやさしさに変える~

   僕は障がい福祉の現場で働いてますが、勤めている法人で隔週で機関紙を発行してます。
   そこに連載を書いていて、最近書いた記事をブログにもあげてみます。
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 居場所、ということについて最近考えています。 

 居場所とはなんだろう。
 学校という場から居場所を失った不登校の子どもたち。その不登校の子たちを支援する先駆的活躍をしている札幌漂流教室の相馬さんは、「居場所とは行き場所」とおっしゃってました。なるほど、居る場所、ではなく、行くことができる場所。この捉え方は非常に面白い。
 僕が居場所って何だろうと考えていた時に、浮かんだ言葉があって、それは、「居場所とは人である」というものです。居場所には、二つの要素があると思っていて、「場所」と「人」です。その中で、空間としての「場所」も大切なのですが、それよりも、10倍くらい、いや100倍くらい大事なのが、「人」だと思います。
 例えば学校。学校の教室の机。これは場所としての居場所と言えるかもしれない。それは、学校に所属している生徒であれば、もれなく用意されている場所です。ですが、その教室の中に、居場所があると感じられるかは、「机」があるかよりも、クラスメートなど「人」の中に自分の居場所があるか、役割があるか、みんなが自分の存在を認めてくれているか、それが非常に重要だと思います。
 ほかの例も挙げてみると、家族はどうでしょうか。場所としての居場所として考えられるものに、「部屋」があります。この「部屋」があれば、自分の家を心休まる居場所と感じられるでしょうか。いや、やはり、部屋があるだけでは、居場所として感じられないでしょう。そう考えると、個室としての部屋があったとしても、家族から疎ましく思われていたり、「勉強していい大学に入らないと親から認められないだろうな」と感じたりしていると、自分の存在を認めてもらえていると感じられず、居場所があると感じられないでしょう。逆に考えると、それこそ、親や兄弟から信頼されていて、関係性が良好だった場合には、自分用の個室が無くても、居場所がある、と感じることもできるでしょう。
 また、空間自体がない、フェイスブックなどの、ネット上だけの付き合いはどうでしょうか?僕の友達は、ミクシィというネット上の集まりで、知り合った人と結婚しました。ミクシィだけの付き合いの頃から、あまりに心が通じ合う、ということでお互いにひかれあったそうです。これは、まさにネット上のみでも「居場所」が創造されるという例だと思います。リアルな場所が無くても、そこに人とのつながりが感じられれば、居場所になり得る。
 だから「居場所」というのは「人」である、と僕は感じてます。
 「私には居場所がない」とか「自分らしくいられる居場所ってどこにあるんだろう」
そんな言葉を見聞きすることがたまにあります。ネットで「居場所がない」と検索してみても、様々なブログが見つかります。
 これらの言葉が意味する本当の根本のところは、「自分の存在を認めてくれる『人』がいない」ということだと僕は感じてます。
 もっとわかりやすい言葉にしましょう。
「一緒にいたい、と思ってくれる人がいる」
これだと思います。僕と一緒にいることを喜んでくれる人がいる。その人との関係。それこそが、「居場所」だと思います。
学校に居場所がある人は、学校のクラスメートが、僕といることを楽しんでくれている。喜んでくれる。そういうクラスメートがいるから居場所だと感じられる。
家族に居場所がある人は、親が自分と一緒にいることを喜んでくれている。学校の成績、学歴、就職先の会社の大きさとかそういう条件付きで見られるわけでなく、ただ、一緒にいることを喜んでくれる。そういう家族の関係性に居場所を感じられるのだと思います。
居場所は人です。その「人」との関係性を築くことが難しい障害を持っている方は、居場所を感じづらいと言えると思います。そして、障害がなくても、自分らしさを認めてくれる人間関係を築くことができない人はたくさんいます。「つらいけどがんばれば、親も認めてくれる」とか、「無理して勉強すれば、成績を維持できて、この学校に居られる」。この感覚ではだめです。それは、居場所ではない。自分ではない何かに頑張ってなろうとして、無理する。その無理した自分のことを認めてくる。そういう人は、本当の居場所にはならない。そういう人からは、早めに離れることが僕は大事だと思います。
僕の居場所はどこだろうか。
そして、僕は誰かの居場所になれているだろうか。
誰かの存在を喜ぶことができているだろうか。
居場所がないという生きづらさを抱えている人は、かなりの数いると思います。居場所がない仲間同士、その生きづらさをやさしさに変えて、一緒に居場所を作ってしまう。そんなことがあちこちで生まれてくると、きっと生きやすい社会になるのではないかな、と思います。