生きづらさをやさしさに変える くにい かつひろ

繊細すぎて苦しかったその生きづらさこそが、人を癒す力になったと感じてます。 くにいかつひろ

「嫁に好かれたいから」ではなく、「自分がやりたいから」で洞爺湖への移住を決めた件 〜「他人評価の世界」から「自分で決める世界」へ〜

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先日、気付いてしまった。

世界は二つある。

ひとつは、「他人評価」の世界。

もうひとつは、「自分が決める」世界。

僕は小さい頃から他人から好かれている時や、他人から良い評価を得られている時は、安心できていました。

逆に、悪い評価を得たり、怒られたりすると、最悪な気分になって、人生終わりのような感覚になっていた。

だから、なにがなんでも嫌われないように、怒られないように、ということを先回りして先回りして、懸命にやっていました。

最優先事項は「人から好かれること」

僕の行動原理は、この1点に集約していました。

「人から好かれること」が1位です。

すると、「大好きでどうしてもやりたいこと」という選択肢が出てきても、「人から嫌われそう」という結果が見えると、やりたいんだけど、やめてしまう。

また、「いやでやりたくないこと」でも、人から好かれるものだったり、それをやることで、今の評価を維持できる、と感じると、無理をしてでもやろうとする。

これは、自分的に自然な選択だったし、疑問に持つこともほとんどなかったし、当たり前の我慢感覚だったし、それこそみんなそうやっているのだろうと、勝手に思ってました。

でも、この生き方はとんでもなく不幸になる生き方でした。

「自分が感じていること」は二の次なんです。

「相手からどう思われるか」こちらの方が一番になってしまっている。

これはきつい。

なにがきついかというと、
「相手がどう思うか」ということについて、
僕ができることはかなり限られているし、
僕のことを嫌うも好きになるも、相手の自由なわけで、相手の様子次第で僕の精神状態がぐらんぐらん揺れ動くのです。

僕の精神状態を左右するのは他人になってしまっていた。

これだと自分の精神状態を自分では全くコントロールできないということになります

そして、なにをやったって僕のことが気に入らないという人は、絶対にいる。

それを引き受けることが本当にできなかった。

相手が不機嫌そうな顔をすると、途端に落ち込むわけです。

これはキツイ。

この当たり前だと思っていた「他人評価」の世界の他に、
「自分で決める」という世界があることがわかりました。

意識はしていませんでしたが、自然とそうできていた時がありました。

もっとも象徴的な出来事は、

洞爺湖に移住」した時のことです。


あの時國井家が学んだことは、
「いつなんどき、突然に死が訪れるというのは、、、、、なんてリアルなことなんだ!」
ということでした。

ふとした瞬間にいきなり死ぬなんて、当たり前にあることなわけです。

だとしたら、今の生活をしていていいのか。。。。

そこで嫁から
「私は北海道で死にたい」

と宣言されました。

おぉ。。。。

うん。。。

そうだよな。。

そらそうだ。

・・・と大きく頷く自分。

と同時に、僕は今の仕事を辞めて、パッと動けるのか、、、、

と考えると、、、無理でした。

大好きな仕事で、仲間とともに大事に作り上げてきたNPO法人でしたし、
ちょうど横浜でも発達障害の分野では面白がられる取り組みを日本でも先駆けてやっていましたし、現に厚労省の科学研究事業の日本中の大学教授が集まる分担研究などに参加させてもらったり、新たに横浜でも単独で新規事業として異例にお金をつけてくれることになった第一号のグループホームの立ち上げを担当できていたりと、どうしてもやりたい仕事でもありました。

でも、3歳と0歳の娘と離れるのは、苦しすぎました。

もちろん大好きな嫁と離れることも心が引き裂かれるような気持ちでした。(ギャグっぽいですが、僕は嫁が大好きなのです)

でも、あの2011年のタイミングで僕が移住するということは、

「嫁が喜ぶから」

といういつもの自分の「他人評価の世界」での選択になってしまうと、直感的に感じてました。

たとえ、家族一緒にいれたとしても北海道での生活がうまくいかなかった時や、横浜での仕事に未練が残っていると、

「嫁のせいにしかねない」

と感じました。

これは危険でした。

これでは、家族を不幸にしてしまう。

だから、納得いくまで仕事をしよう。そして、「自分から行きたい」と心の底から思えた段階で、洞爺湖に合流しよう、と思いました。

そして、2年半単身赴任生活をしたのちに、仕事もひとつの区切りまで行き、ようやく、「嫁からの期待とは別次元で、自分から行きたいと思える」という状態になり、移住を決意しました。

この間で、神奈川に買った家を売却したり、
2重の家賃は払えん、ということで、僕は埼玉の実家に戻ったり、とまあ、いろいろありましたし、離れていた期間の長さから、子どもたちにはつらい思いもさせたことは事実です。

それは今思い返しても、胸が苦しくなる時もあります。

でも、ごめんよ、子どもたち。

おっとーには(こどもらは、おっとー、おっかーと僕らを呼びます)この生き方でした。

この生き方が、おっとーの「自分で決める世界」で決めた選択でした。
誰のせいにもしないでいられる生き方。
誰から責められても、誰を傷つけることになっても、誰かから恨まれても、嫌われても、怒られても。
誰かが僕から離れて行くことになったとしても。

これが僕の生きる道でした。

この選択はすごくすごく大変です。

誰かのせいに少しでもできた方が一瞬は楽。

でも、僕は、自分で決めて生きていきたい。

それによって嫌われても、その道の先につながってくれる人たちが、きっといる。

その人たちこそ、真に繋がる人なのだろう、と思います。

まだ、他人評価で決めてしまう自分がチラチラ出てきます。

それがリアルな僕。

そして、なによりも「嫁に怒られないように」という行動をしてしまっている自分。

その行動、誰も幸せにしないのだ。

だって、掃除も洗濯も「やらされている」気になってしまう。

そうではなく、

究極にやりたいことをやる。

そのリスクも引き受ける。

「他人評価」の世界

ではなく、

「自分で決める」世界。

そちらの世界で僕は生きていきたいです。