生きづらさをやさしさに変える くにい かつひろ

繊細すぎて苦しかったその生きづらさこそが、人を癒す力になったと感じてます。 くにいかつひろ

フウフカイギ議事録 vol.2 〜〜「自分時間」と「他人時間」〜〜

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「自分時間」


「他人時間」

どちらの時間で、今、生きてますか?


これは、仕事をしている時でも、
家族と過ごしている時でも、
家で一人でいる時でも、

どんな時でも、

「自分時間」 と 「他人時間」

どちらかの時間を生きていると捉えられる、ということです。

どちらの時間ででも生きることができる、ということに今日、嫁と話していて気づきました。

僕は他人の目を気にして生きている時間が非常に長いので、

昨日なんかは、「ほぼ丸一日」が「他人時間」でした。

朝は、嫁が怒るだろうから、と勝手に決め付けて、早めに起きて、洗濯をする。(嫁は別に怒らないのに)

仕事をしてても、同僚や、上司が僕のことをどう見てるかな、ということを意識して、仕事を選んで行う。

家では、みんな寝静まっている中、ビールを飲みながらも、完全に一人なのにもかかわらず、メールやらを返さないとな〜、こんなダラダラ動画を見て過ごして何やってんだ、、、、、とか思いながら時間を過ごしている。

どれも、「他人時間」ですね。

「他人時間」で過ごしていると、すごく不自由です。

疲れます。

人のせいにします。

イライラします。

落ち込みます。

何もする気がおきなくなります。


でも、今日の後半は「自分時間」で過ごせました。


誰かに決められるのではなく、

誰かの目を、評価を気にするのでなく、

今日、嫁と話して気づけたことを、このブログに書きとめたかった。

今、こうやってブログを書いている時間は、まさに「自分時間」です。



ちなみに、「自分時間」と「他人時間」は僕が考えた言葉です!

なかなか、使い勝手良し!


そして、今日から、ブログの文字数、短めにしてみます。

長い時は6,000字くらいの時もあったので、

今後はこのくらいで、800字ほどにしてみようと思います。

ですが、やると宣言しちゃうと僕の場合、途端にやる気を無くす(義務感が出てくる)傾向にあるので、そんな風に書こうと、今は思ってます。と書いておきます。

今日も、読んでくださり、ありがとうございます。