生きづらさをやさしさに変える くにい かつひろ

繊細すぎて苦しかったその生きづらさこそが、人を癒す力になったと感じてます。 くにいかつひろ

世のイクメン諸君へ、、、、自分の本当の声聞いてあげてますか?

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今朝、我が家の庭に来た来訪者の足跡。

 

たぬきかな?キツネかな?

 

夜のうちに、このあたりを動物たちがうごめいている印が、朝まで残っている。

 

なんとも心が豊かになります。

 

子どもたちも、毎朝足跡見つけては「きゃあきゃあ!」うるさく、感動してます。

 

足跡一つで🐾幸せになる子どもたちを見てると、子どもという存在は僕たち大人にとって、とても大事なことを教えてくれている先生だなぁと感じます。

 

何を教えてくれているかというと、

 

今を感じる

 

ということです。

 

 

今でしょ!

って東進ハイスクール林修先生の言葉、流行りましたよね。

2013年の流行語大賞らしいですね。

実はあれ、僕はちょっと苦手でした。

というのも、子どもたちに対して言ってるのだろうけど、「勉強するのは今でしょ!明日に回さないで、今でしょ!」という、、、なんか

ケツ叩き感

が嫌い。

これ流行語になったのって、いろんな場面で使いやすかったのが要因だと思うんです。

掃除やらなきゃな、、、、、

今でしょ。

宿題やらなきゃな、、、、

今でしょ。

学校行きたくないけど、、、、

今でしょ。

仕事どこまでやるかな、、、、、

今でしょ。

もーー

やめていただきたい。

 

この、今でしょ、の活用は、

 

今の感情を見ないようにしてとにかく行動

 

という形です。

 

子どもたちの、「今でしょ 」は、

 

今の感情を感じる

 

ということです。

 

まっ、、、、、、、たく、

 

逆ですね。

 

大人になると、自分が感じている感情というものを

 

驚くほど

 

無視します

 

それは、

 

悲しみの感情に溺れない為

 

とか

 

怒りの感情に振り回されないように

 

するためです。

 

自分の怒りや、悲しさを感じ始めると、それと向き合いたくないから、人を傷つけてしまったり、何もできなくなって動けなくなってしまったり、

 

社会生活に支障をきたす、そんな恐れがあります。

 

他にも、自分の感情を味わうようになると

 

「やっぱり、、、、旦那のことが本気で嫌いだ、、、、離婚するしかない」

 

という、恐ろしい気付きや

 

「この仕事きつすぎる、、、、、会社、辞めるしかない」

 

という、大きな変化が伴う気付きもくっついてきて、

 

かなり不都合な真実に気づいてしまったりしますね

 

他にも

 

向き合いたくない自分と出会ってしまう

 

こともあります。

 

 これ、まさに最近のぼくですね。

 

嫁に自由な時間をたくさんあげよう

だから、仕事以外の時間は子どもたちをできるだけ預かり、

家事もできるだけやり、

嫁に楽しい時間をあげよう。

 

そんなことができる寛容な素晴らしい夫であり、お父さんなんだ、ぼくは、、、、、

 

これ、、、、、、

 

自分のことを良い夫、と思いたいだけでした。

 

心の奥底では

 

自由にしている嫁にイライラしてました。

 

気づかないレベルで我慢してました。

 

嫁がぼくのキモチを全然大事にしてくれてない、ぼくをないがしろにしてると、感じていて、

 

内心

 

無意識化では、

 

嫁を責めてました

 

そんな、ちっさい自分が本当はいました。

 

いたのに、無視してきてしまいました。

 

嫁がぼくのキモチをないがしろにしてたのではなく、

 

ぼくが自分の本当のキモチをないがしろにしてきたのです

 

ギターを弾きたかったら、ギターを弾きたいから子ども見てて、と言えば良かった。

 

サッカー観戦したいなら、そう言えば良かった。

 

前回のワールドカップなんか、日本戦を1試合しか観てない。

 

サッカー好きな自分にはあり得ません。

 

それもこれも、

 

自分は良い夫、と思いたかったから。

嫁にもそうおもってもらいたかったから。

 

これは、ほんっとーーーにダメですね。

 

この根底には、

 

人から嫌われたくない

 

嫌われたら、生きてけない

 

という、ぼくの中にある、大きな大きな刷り込まれた信念があります。

 

人から嫌われないように、反射的に行動し、言葉を発するのです。

 

それを夫婦間にも適用してしまっていました。

 

無意識に。。。

 

 

、、、、、話しをもどします。

 

そうなんです。

 

感情を見てしまうと、

 

出会わないようにしていた自分に出会うことになるのです

 

ぼくの場合は、

 

良い夫と思われたいと思っているちっさい自分。

 

本当は全然寛容ではない自分。

 

これと向き合わなくてはいけません。

 

それは一瞬落ち込むことでもありますし、嫁に話すと、呆れられたりしますが、

 

自分のキモチを見てあげたという結果

 

ほわっとした安心感に包まれました。

 

この感覚、何でしょうね。

 

自分になれた、という安心感。

 

ちっさい自分でも、これが自分なんだ、、、というホッと感。

 

これが必要でした。

 

なので、昨日は、

 

夕食後は、完全に子どもらの入浴、着替え、歯磨き、寝かしつけは完全に任せて、

僕は読みたかった本をたくさん出してきて、4時間ずっと本を読んで、ノートに気づきを書いて、これからやっていきたい勉強会の構想を練ってました。

他にも自分の感情と対話するようなワークを自分で考えてみてノートに書き出して、たくさんの気づきがあって、

 

「あー、、、普通の平日の夜に、こんな充実した時を過ごせるのか、、、」

 

と衝撃を受けました。

 

仕事から帰ったら、反射的に子どもを入浴、寝かしつけ、食器洗い、洗濯、、、、とか、家事育児してたのって、

 

なんか

 

無理してやってたっぽい

 

です。

 

 

、、、、世のイクメン諸君

 

自分の本当の声、、、聞いてあげてますか。

 

良い夫ぶってないですか。

 

自分のキモチ、後回しにしてないですか。

 

自分の本当のキモチ、大切にして、

 

やりたいことやって、自分を満たす時間を作らないと、

 

嫁と子どもを本当に幸せにすることはできないです。

 

下手すると、

 

嫁に嫌われるよ

 

、、、、気をつけなきゃな。