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リアリティは突き詰めればつきつめるほど、自分にやさしい

不登校してよかった。 そう思える人生にするために、今の自分の現実を突き詰める。その先には、やさしい世界が開けると、確信しています。

シリコンバレーに負けない子ども会のおっちゃんになるために考えた方策

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昨日のブログの続きです。

AmazonyoutubeGoogle先生にも、DSにもプレイステーションにも勝てる子ども会の会長という、近所のおっちゃん。

今年度の目標です!

僕が勝機だと思っていることに、
「信頼する」
「貢献してもらう」
と、
「大人が人生を謳歌してる姿を見せる」
この2つがあります。

1、信頼するは、

とにかく今の子どもたちは、自分のことを信頼してもらっている、という感覚を感じにくいということです。
だから、
「君はどんなことが好きなのか。そして、どんなふうに成長するのか」
それを面白がり、めちゃめちゃ楽しみにする。それを伝える。

そして、

2、貢献してもらうでは、

僕が若者の文化を教えてもらう。彼らの流行りを教えてもらう。
そして、子どもらの心をつかむヒントを学びにいく。
ようするに、子どもらに僕の「今の子ども文化の先生」になってもらう。
すると、僕は子どもと仲良くなるツールを手にできるし、子どもとの関係性もよくなるという一石二鳥のアイディアになる。

3、大人が人生を謳歌している姿を見せる、は、

ようするに、今の大人が日々の仕事や生活で苦しんでいて、その姿を見ている子どもたちは、大人になることを楽しみに感じられない、ということです。
仕事や家庭生活の中だけでなく、地域の活動についても言えると思います。大人がコミュニティーのつながりの必要性を実感して、楽しく関わっている姿を見せてないと、そもそも地域活動に子どもがでたがらない。

でも、僕がまだ全然出ることができてないという、ひどい状況ですが、僕がやれることをやれるだけやって、結果干された時には、アジの干物にでもなります。

嫁が昔に言ってくれた言葉があります。

彼女がうじうじしている僕を見て、ずいぶん呆れて、散々イライラして僕に対して怒りを向けてくる中で、僕も反撃を繰り返しながら、不毛な戦いを繰り返していた時です。

嫁は逆転満塁ホームランを打ちました。

その言葉は、

「そんなうじうじやっている今この時に、不登校で苦しんで自殺を考えている子どもがいるんでしょ!自殺しちゃう子もいるんでしょ!あんたがやらないことで、救える子が救えないかもしれないんじゃないの!」

そんなようなことを言われました。

頭をハンマーで打たれたような感覚でしたね。

言葉が出てこなかった。


今でも、いろいろうじうじな自分が出てきますが、この言葉を思い出すと、勇気が湧いてくる。

本当に、すごい嫁なんです。

ということで、

ってなにがということなのかはよくわかりませんが、
これから、頑張っていこうと、思います。

子ども会!

子ども会の会長は貧乏くじなのか、ドリームジャンボ宝くじなのか。

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先ほど、地域の子ども会の総会があり参加してきました。

仕事帰りの道すがら、車内では中村文昭さんという方の講演会のCDを聴いてました。

ものすごく熱い内容で、とても感動。

中村さんの師匠さんがすごく熱い人だったらしく、その方の教えに、

「頼まれごとは、試されごと!」

というのがあったそうです。

誰かが自分に対して何か頼みごとをしてくれたときに、「いや、、、」とか「でも、、、、」とか言うな!、と。

できない、やれない、理由を探すな、と。

それは、試されているのだと。

喜んで引き受けて、期待を超えることやってみろ、と。

そうすれば、お前の人間力が上がる。人が助けてくれるようになる。

というようなことを言ってました。

それを聞き、

「そうだ!その通りだ!」

と胸が熱くなってました。

そして、そんな熱い心を胸に、子ども会の総会にたどり着きました。

事業報告、会計報告、と議事が進み、
みなさん最も嫌な時間、役員改選の時間になりました。

会計、副会長、と決まっていき、
会長は誰が、、、みたいな話になった時に、

「國井さんは、、、」

と振られました。

「いや〜〜〜〜〜〜、、、、」

とのけぞりながら、中村さんの言葉が脳裏をよぎる。


「頼まれごとは、試されごと」

・・・・・


心のなかでは、
『まじか〜〜〜、中村さん。まだ2年しかここにいないし、行事もまだ参加したことなくて、、いいのか?』
となりましたが、

「・・・わかりました」

と言いましたよ、中村さん。



・・・・これは、でもチャンスです。

今、日本中の自治会、子ども会が、存続の危機です。

僕が前に住んでいた神奈川の藤野というところでも、子どもがいないし、いても行事には参加せずで、成り立たなくなってました。

なら、やればいい。
僕がやればいい。

日本中の子どもたちを元気にするぞ!

と、意気込んでいましたが、
自分の地域の子どもたちを知らずして、何を言っているのかと。。。

という声も聞こえてきまして、これはチャンスだということにしました。

子ども合わせて13名とのこと。

みんなどんなふうに生きているのだろう。

どんな夢を持っているのか。

将来を暗く感じているのか。


僕が最近感じていることは、

「日本人の中でどれだけの人が主体的に生きることができているのだろう」

ということです。

自分で自分のことを決めて生きている、まさに僕がこれを選んでいる、と言い切れる人が日本の中にどれだけいるか。

僕もそうだし、大人もそうだし、子どももそう。

自分で道を切り拓いている人がどれだけいるか。

みんなと同じ道でも、自ら選んで、勧んでその道を歩んでいるのか。

はなはだ疑問。

「あの人に言われたから」
「親がやれって言ったから」
「みんなやってるから」

み〜〜〜んな、これではないか。

子ども会の活動って、子どもが幸せに生きていくためにやる地域の活動です。

でも、それに積極的に、主体的に関わる子どもっているのだろうか。

前にいたところでは、子ども会の最大イベント子ども神輿に、子どもが参加しなくなってきたので賞金(数千円)を出すようにして、こどもに出てもらう、ということになってましたが、それでも来ない子も多い。

これで家でゲームをやってる、とか聞くと、「最近の若いもんは!」と言いたくなるでしょうが、僕だって、行かないだろうな。

ようするに、地域の子どもの集まりに参加することに今の社会では意味を見出せないんです。

自分が今生きているこの地域と、そこにいる人との有機的な関わりの実感がないし、実感ないというかそもそも関わりなんてなくても生きていけるし、関わりは面倒を運んでくるだけで、必要性がない。

ここをそのまま
「昔ながらのものを残さなくては・・・」
では、難しい。

昔は、近隣の関係性が生きていく上で「必要」だったわけで、そのなかで貢献することが生きていく上で必須でしたし、1年の中で脳内興奮物質のドーパミンが最も分泌されるイベントが「祭り」だったわけです。

だから、Amazonで、安くどこでもなんでも手に入り、youtubeでは世界のトップアーティストのライブをほぼ無料で見放題、Google先生に聞けば大概の知識が手に入るような時代には、近隣の関係性が薄れていくなんて必然。

ようするに、近隣の人間たち、僕らが、子どもらに「必要とされてない」のです。

・・・・残念!

全くもって残念!(笑)

でも事実!

これ、事実です。

では、僕らは近隣の子どもたちから必要とされるにはどうすればいいのか。。。。

Amazonにも、youtubeにも、Google先生にも勝てる、近所のおっちゃん。

それに僕はなるぞ。

子ども会の会長として、シリコンバレーの企業たちに勝ってやる。

では、なにをやるか、、、

長くなったので、それは明日の20時にアップします。

それでは、また明日に書きます。













「嫁に好かれたいから」ではなく、「自分がやりたいから」で洞爺湖への移住を決めた件 〜「他人評価の世界」から「自分で決める世界」へ〜

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先日、気付いてしまった。

世界は二つある。

ひとつは、「他人評価」の世界。

もうひとつは、「自分が決める」世界。

僕は小さい頃から他人から好かれている時や、他人から良い評価を得られている時は、安心できていました。

逆に、悪い評価を得たり、怒られたりすると、最悪な気分になって、人生終わりのような感覚になっていた。

だから、なにがなんでも嫌われないように、怒られないように、ということを先回りして先回りして、懸命にやっていました。

最優先事項は「人から好かれること」

僕の行動原理は、この1点に集約していました。

「人から好かれること」が1位です。

すると、「大好きでどうしてもやりたいこと」という選択肢が出てきても、「人から嫌われそう」という結果が見えると、やりたいんだけど、やめてしまう。

また、「いやでやりたくないこと」でも、人から好かれるものだったり、それをやることで、今の評価を維持できる、と感じると、無理をしてでもやろうとする。

これは、自分的に自然な選択だったし、疑問に持つこともほとんどなかったし、当たり前の我慢感覚だったし、それこそみんなそうやっているのだろうと、勝手に思ってました。

でも、この生き方はとんでもなく不幸になる生き方でした。

「自分が感じていること」は二の次なんです。

「相手からどう思われるか」こちらの方が一番になってしまっている。

これはきつい。

なにがきついかというと、
「相手がどう思うか」ということについて、
僕ができることはかなり限られているし、
僕のことを嫌うも好きになるも、相手の自由なわけで、相手の様子次第で僕の精神状態がぐらんぐらん揺れ動くのです。

僕の精神状態を左右するのは他人になってしまっていた。

これだと自分の精神状態を自分では全くコントロールできないということになります

そして、なにをやったって僕のことが気に入らないという人は、絶対にいる。

それを引き受けることが本当にできなかった。

相手が不機嫌そうな顔をすると、途端に落ち込むわけです。

これはキツイ。

この当たり前だと思っていた「他人評価」の世界の他に、
「自分で決める」という世界があることがわかりました。

意識はしていませんでしたが、自然とそうできていた時がありました。

もっとも象徴的な出来事は、

洞爺湖に移住」した時のことです。


あの時國井家が学んだことは、
「いつなんどき、突然に死が訪れるというのは、、、、、なんてリアルなことなんだ!」
ということでした。

ふとした瞬間にいきなり死ぬなんて、当たり前にあることなわけです。

だとしたら、今の生活をしていていいのか。。。。

そこで嫁から
「私は北海道で死にたい」

と宣言されました。

おぉ。。。。

うん。。。

そうだよな。。

そらそうだ。

・・・と大きく頷く自分。

と同時に、僕は今の仕事を辞めて、パッと動けるのか、、、、

と考えると、、、無理でした。

大好きな仕事で、仲間とともに大事に作り上げてきたNPO法人でしたし、
ちょうど横浜でも発達障害の分野では面白がられる取り組みを日本でも先駆けてやっていましたし、現に厚労省の科学研究事業の日本中の大学教授が集まる分担研究などに参加させてもらったり、新たに横浜でも単独で新規事業として異例にお金をつけてくれることになった第一号のグループホームの立ち上げを担当できていたりと、どうしてもやりたい仕事でもありました。

でも、3歳と0歳の娘と離れるのは、苦しすぎました。

もちろん大好きな嫁と離れることも心が引き裂かれるような気持ちでした。(ギャグっぽいですが、僕は嫁が大好きなのです)

でも、あの2011年のタイミングで僕が移住するということは、

「嫁が喜ぶから」

といういつもの自分の「他人評価の世界」での選択になってしまうと、直感的に感じてました。

たとえ、家族一緒にいれたとしても北海道での生活がうまくいかなかった時や、横浜での仕事に未練が残っていると、

「嫁のせいにしかねない」

と感じました。

これは危険でした。

これでは、家族を不幸にしてしまう。

だから、納得いくまで仕事をしよう。そして、「自分から行きたい」と心の底から思えた段階で、洞爺湖に合流しよう、と思いました。

そして、2年半単身赴任生活をしたのちに、仕事もひとつの区切りまで行き、ようやく、「嫁からの期待とは別次元で、自分から行きたいと思える」という状態になり、移住を決意しました。

この間で、神奈川に買った家を売却したり、
2重の家賃は払えん、ということで、僕は埼玉の実家に戻ったり、とまあ、いろいろありましたし、離れていた期間の長さから、子どもたちにはつらい思いもさせたことは事実です。

それは今思い返しても、胸が苦しくなる時もあります。

でも、ごめんよ、子どもたち。

おっとーには(こどもらは、おっとー、おっかーと僕らを呼びます)この生き方でした。

この生き方が、おっとーの「自分で決める世界」で決めた選択でした。
誰のせいにもしないでいられる生き方。
誰から責められても、誰を傷つけることになっても、誰かから恨まれても、嫌われても、怒られても。
誰かが僕から離れて行くことになったとしても。

これが僕の生きる道でした。

この選択はすごくすごく大変です。

誰かのせいに少しでもできた方が一瞬は楽。

でも、僕は、自分で決めて生きていきたい。

それによって嫌われても、その道の先につながってくれる人たちが、きっといる。

その人たちこそ、真に繋がる人なのだろう、と思います。

まだ、他人評価で決めてしまう自分がチラチラ出てきます。

それがリアルな僕。

そして、なによりも「嫁に怒られないように」という行動をしてしまっている自分。

その行動、誰も幸せにしないのだ。

だって、掃除も洗濯も「やらされている」気になってしまう。

そうではなく、

究極にやりたいことをやる。

そのリスクも引き受ける。

「他人評価」の世界

ではなく、

「自分で決める」世界。

そちらの世界で僕は生きていきたいです。













居場所とはなにか。~生きづらさをやさしさに変える~

僕について 福祉 不登校 ひきこもり 未来の展望 パートナーシップ・夫婦関係 子育て・育児 障害者
   僕は障がい福祉の現場で働いてますが、勤めている法人で隔週で機関紙を発行してます。
   そこに連載を書いていて、最近書いた記事をブログにもあげてみます。
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 居場所、ということについて最近考えています。 

 居場所とはなんだろう。
 学校という場から居場所を失った不登校の子どもたち。その不登校の子たちを支援する先駆的活躍をしている札幌漂流教室の相馬さんは、「居場所とは行き場所」とおっしゃってました。なるほど、居る場所、ではなく、行くことができる場所。この捉え方は非常に面白い。
 僕が居場所って何だろうと考えていた時に、浮かんだ言葉があって、それは、「居場所とは人である」というものです。居場所には、二つの要素があると思っていて、「場所」と「人」です。その中で、空間としての「場所」も大切なのですが、それよりも、10倍くらい、いや100倍くらい大事なのが、「人」だと思います。
 例えば学校。学校の教室の机。これは場所としての居場所と言えるかもしれない。それは、学校に所属している生徒であれば、もれなく用意されている場所です。ですが、その教室の中に、居場所があると感じられるかは、「机」があるかよりも、クラスメートなど「人」の中に自分の居場所があるか、役割があるか、みんなが自分の存在を認めてくれているか、それが非常に重要だと思います。
 ほかの例も挙げてみると、家族はどうでしょうか。場所としての居場所として考えられるものに、「部屋」があります。この「部屋」があれば、自分の家を心休まる居場所と感じられるでしょうか。いや、やはり、部屋があるだけでは、居場所として感じられないでしょう。そう考えると、個室としての部屋があったとしても、家族から疎ましく思われていたり、「勉強していい大学に入らないと親から認められないだろうな」と感じたりしていると、自分の存在を認めてもらえていると感じられず、居場所があると感じられないでしょう。逆に考えると、それこそ、親や兄弟から信頼されていて、関係性が良好だった場合には、自分用の個室が無くても、居場所がある、と感じることもできるでしょう。
 また、空間自体がない、フェイスブックなどの、ネット上だけの付き合いはどうでしょうか?僕の友達は、ミクシィというネット上の集まりで、知り合った人と結婚しました。ミクシィだけの付き合いの頃から、あまりに心が通じ合う、ということでお互いにひかれあったそうです。これは、まさにネット上のみでも「居場所」が創造されるという例だと思います。リアルな場所が無くても、そこに人とのつながりが感じられれば、居場所になり得る。
 だから「居場所」というのは「人」である、と僕は感じてます。
 「私には居場所がない」とか「自分らしくいられる居場所ってどこにあるんだろう」
そんな言葉を見聞きすることがたまにあります。ネットで「居場所がない」と検索してみても、様々なブログが見つかります。
 これらの言葉が意味する本当の根本のところは、「自分の存在を認めてくれる『人』がいない」ということだと僕は感じてます。
 もっとわかりやすい言葉にしましょう。
「一緒にいたい、と思ってくれる人がいる」
これだと思います。僕と一緒にいることを喜んでくれる人がいる。その人との関係。それこそが、「居場所」だと思います。
学校に居場所がある人は、学校のクラスメートが、僕といることを楽しんでくれている。喜んでくれる。そういうクラスメートがいるから居場所だと感じられる。
家族に居場所がある人は、親が自分と一緒にいることを喜んでくれている。学校の成績、学歴、就職先の会社の大きさとかそういう条件付きで見られるわけでなく、ただ、一緒にいることを喜んでくれる。そういう家族の関係性に居場所を感じられるのだと思います。
居場所は人です。その「人」との関係性を築くことが難しい障害を持っている方は、居場所を感じづらいと言えると思います。そして、障害がなくても、自分らしさを認めてくれる人間関係を築くことができない人はたくさんいます。「つらいけどがんばれば、親も認めてくれる」とか、「無理して勉強すれば、成績を維持できて、この学校に居られる」。この感覚ではだめです。それは、居場所ではない。自分ではない何かに頑張ってなろうとして、無理する。その無理した自分のことを認めてくる。そういう人は、本当の居場所にはならない。そういう人からは、早めに離れることが僕は大事だと思います。
僕の居場所はどこだろうか。
そして、僕は誰かの居場所になれているだろうか。
誰かの存在を喜ぶことができているだろうか。
居場所がないという生きづらさを抱えている人は、かなりの数いると思います。居場所がない仲間同士、その生きづらさをやさしさに変えて、一緒に居場所を作ってしまう。そんなことがあちこちで生まれてくると、きっと生きやすい社会になるのではないかな、と思います。

「今の若者はメンタル弱い」と言う大人達へ

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リアルな「今」を生きている子どもたちに、ずっと会いたい、会いたい、と思ってきました。

そして、最近ようやく会える機会に恵まれるようになってきました。

僕が会いたかったのは、14歳から20歳くらいの子です。

大人に、失望している。

人生に、絶望している。

そして、自分にも失望している。

でも、希望も少し持っている。

そんな子ども達です。

僕が不登校したのは、中2の2学期なので、14歳になる直前です。

だから、あの時の自分くらいの子達に会いたかった。

そして、本当に会うことができています。

不登校発達障害、少年院から出てきた、優等生、いろんな子がいるけど、

総じて、みんないい。

すごくいい。

しっかり生きている。

しっかり絶望している。

彼らと話す中で感じるのが、
周りの大人の多くが、
「若者を信頼していないんだな」
と言うことです。

大人から信頼される、という感覚を感じていない。

それと、ネットで書かれてるものを見ると、
「最近の若者はメンタル弱い」
「注意ができない」

と書かれているものも良く見かけるし、仕事をしていても、そういうことは良く見聞きしてました。

なので、肌感覚として、
「今の若者はメンタル弱い」

という暗黙の了解のような、共有意識が、
今の日本人の大人達の中にあるとおもいます。

それは、なぜか。

いろんな原因が考えられるけど、
僕はアドラー心理学が好きなので、
アドラー的に考えてみます。

アドラーの考え方に目的論というのがあって、原因ではなく、目的に注目してみよう、というのがあります。

若者が人に注意されて、職場に来なくなる。

これの原因ではなく、
目的を考えてみる、ということです。

そうみると、
「職場に行かない、という目的を達成するために、注意されたという出来事を用いた」

となります。

若者は仕事を避けたいんです。

そして、人間関係も避けたい。

きっとそうなんです。

しごとも、人間関係も、自分にとって素晴らしいものなると思えない。

むしろ、自分を苦しめるものだ、と感じている。

・・・・・というか、不登校時代の僕がこれでしたから、よーーくわかる。

今の子達は無意識に、人間関係を避けてるのかもしれないです。

そして、僕が最近会ってる若者の中でも、元気に生きていこうとしている子に共通するのは、

「大人に信頼されてる経験がある」
とか
「大人とつながりを感じられている」

という点です。

これは、おそらく生きていく上で、大人になっていく上で、とても必要なことだと思いました。

そして、僕が、子ども達と、大人をつなぐ架け橋のような仕事をしていきたい、とそう感じました。

「今の若者はメンタル弱い」と言っている、大人のみなさん。

若者は、人間関係を避けてます。

だから、あなたや周りの大人が信じてあげてください。

「注意をしたって、失敗したって、次がある。またやってみよう」

と心の中で大人側が思ってあげてください。

そして、言葉をかけてあげてください。

何度かは、へこたれるかもしれないです。

でも、必ず、大丈夫。
そう信じていきましょう。

僕は今の若者、大好きです。

みなさんもぜひ、少しだけでも、信頼してみてください。

彼らはきっと、勇気を持って生きていってくれます。








母校の北星余市高校(ヤンキー先生義家さん、現文科副大臣の高校)が存続の危機

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母校の北星余市高校が、廃校の危機に瀕してます。

北星余市高校は、僕のことを救ってくれた学校です。

全国でも先駆けて高校中退者や不登校を受け入れるという選択をした、学校です。

すると、全国の青少年問題がこの北海道の片田舎に一気に集中することになった。

暴走族や、ヤンキーのような不良から、いじめられて苦しんできた不登校など、「普通の道に乗れなかった」「社会から疎外された」子ども達が、集まってました。

僕はものすごく暗い不登校児でした。

だから、入学式で見たこともない恐ろしい不良の同級生がたくさんいて、完全にビビってしまいました。

寮生活なのですが、そこも恐ろしげな先輩がいっぱいいて、正直生きた心地がしなかった。

僕のような暗い人もクラスの3割くらいはいましたが、なにやら危なげな匂いのする人は4割くらいいました。(筆者感覚)

ですが、彼らと関わると驚くのが、
「めちゃめちゃやさしい」
ということです。

なぜか。

おそらく、社会から疎外された感、傷ついてきた感覚を知っていて、傷ついてきた人特有のやさしさをみんな持っていたんだと思う。

いま、僕は福祉業界にいますが、そこにいる職員よりあの暴走族達の方がよっぽどやさしかった、という実感があります。

そんなふうに仲間ができて、ともに寮で暮らしていくと、なんとも言えない安心感を感じるようになってました。

「自分、このままでいいんだ。」というなんか無言のメッセージを受け取っていた。

なんかとにかく頑張って、社会の中に認められないと生きてはいけないんだろうなと感じていた感覚が、ちょっと変わりました。

変わらせてくれたのには、

1、仲間
2、周りの大人

このふたつがありました。

2には、下宿、寮の管理人や、学校の先生がいました。

先生がたがとにかくやばい。

この学校のなにを存続させたいかと問われたら、僕は、この「教師集団と職員室」と答えます。

生徒にどんだけ裏切られても、傷つけられても、ずっと信じるんです。

生徒のことを。

そんなふうに、心底信頼された経験、ありますか?

そんなことされたら、やばいんです。

ぼくは、不良ではなかったので、先生を裏切りまくったことはないのですが、大人を完全に見下してはいました。

中学校の不登校に至る過程で、自分に対する先生の態度と親に対する態度とか、いろいろ見てきて、大人ってのはひどく汚く、ずるいものだと思ってました。

「こいつらは自分のことしか考えてない。」
「口ではいくらでも良いこと言えるだろ。」

と思っていたので、大人のことを完全に信じてなかった。

そして、その不信感を一年生の時の下宿の管理人に向けてたので、完全に嫌われました。(ぼくもルールを破ったこともあって、それも要因のひとつなので、ぼくも悪い)

そして、ぼくのことを退寮させるという話が出ました。

でも、自分はなにも間違ったことはしてないと思ってて、たしかにルールを破ったりもしたけど、出されるということになるほどの理由があるとは思えなかった。

現に管理人のおっちゃんは僕に対して直接なにも言わずに、先生を通して、退寮を告げてきていて、その話の進め方も気に食わなかったし、寮の中でも、僕に対する態度と、他の生徒に対する態度がなにやら全く違う感じがしたので、「やっぱり大人はズルいし、ひどい」と思ってました。

こんなやつの言う通りになるもんか!と思ってました。

それで、僕は頑として、下宿を出る気はない、という感じでいました。
まわりの先生方は代わる代わる僕を説得に来る。廊下ですれ違うたびに、「かつひろ(ぼくの下の名前)考え直しなよ。他の寮に行った方がいいぞ。」
とやさしく諭してくれるんだけど、出る気はサラサラないので、適当にあしらってました。

だけど、そこで担任だけ違ってた。

「そうか。かつひろわかった。先生も頼みに行くわ。」

と言ってくれました。

いま、思い返しても、そんな嫌われてる状況で居続けた方が苦しいから、下宿を変えた方がいいことは明らかでした。

だから、他の先生はぼくを説得しようとしてくれてた。

でも、担任の先生のみわこ(以下みわこ)は違かった。

ぼくのわがままを尊重して、一緒に頼みに来てくれることになりました。

そして、管理人が住む部屋の方へ、みわこと向かいました。

話をする時も、管理人はぼくのことは一切見ようとしない。
なんだこの、逃げるような態度は。。。。
そんなんで、ぼくのことを追い出す気か。。。

とおもっていたのですが、

みわこが開口一番、

「すみません、かつひろのこと、もうすこし置いてやってください」

と言って、


『土下座』

・・・をいきなりしました。


その瞬間、ぼくは


うわ〜〜〜、やってしまった。。。。

と、後悔の気持ちが押し寄せてきて、
そんな大嫌いだった管理人に対して、

まったくためらいなく、すぐさまがっつり土下座しました。

土下座して、床に頭をつけながら、
みわこに対して
「ごめん、ごめん、ごめん・・・・・」

と心の中で謝りまくってました。


そして、話が終わり、ぼくの部屋までみわこも一緒に来てくれました。

その間ずっと、ぼくはもう、申し訳なさすぎて、みわこの顔を見れない。

部屋に着くと、

みわこ「かつひろ。。。やっぱダメかもね。。。」

と言ってくれた。

いや、ちがうから!
おれが間違ってたんだから!

みたいなこと考えてて、なんとか謝りたかったんだけど、うまく言えなくて、ようやく言えたのが、

「みわこは、、、、お母さんみたいだわ」

と一言ようやく言えて、というか、その言葉も最後まで言い終えられずに号泣。

この言葉は、本当に不器用だな、と我ながら恥ずかしすぎて、ブログに掲載するのも勇気がいります。

ぼくにとっては、大人の中で、母が唯一信頼の置ける自分の味方だと当時は思ってました。

母は中学の担任から嫌味を言われ続けながらも、ぼくのことを責めることなく守り続けてくれたこと。
中3の時に山形の祖母の家に行った時に、親戚から不登校についてかなり説教された時にも、ぼくのことを守ってくれた。

そんな母だけが、血のつながりもあるし、唯一の信頼できる大人でした。

それ以外の大人なんて汚い、信用ならない、と頑なに凝り固まっていたぼくの心を完全に溶かしてくれたのが、あのみわこの『土下座』でした。

それから、ぼくの中で何かが変わりました。

自分は間違ってなかったかもしれないけど、それを押し通すと、担任に土下座をさせてしまうこともある。

ぼくはちゃんと生きよう。

そう思えました。

長くなってしまった。

ぼくは、不良ではなく、そんなに劇的なドラマがあったわけではありません。

でも、あの土下座はぼくの心の中の宝物です。

すごく、すごく大事なところに、しまってあります。

たまに思い出して取り出してみると、今でも泣ける。

ぼくなんかのことを、信じてくれる人がいる。

それを実感させてくれる思い出です。


そんな人生を劇的に変えるドラマが、生徒の数だけ生まれる。

それが、北星余市です。


こんな高校が無くなるなんて、、、、、ありえない。

させません。

今、ぼくの同期の32期で繋がるフェイスブックのグループを立ち上げました。

ぼくの人生目標は、

自己否定しまくる若者を大量生産している、今の仕組みを破壊すること。

そして、子ども達が大人になることを楽しみに思える社会を作り出すことです。

そんな目標にようやくたどり着き、これからやってくぞ、という時に、北星余市が無くなるなんて、時代に逆行しすぎです。

全国の中3不登校、高校中退者合わせると86586人らしいですが、その人たちに、ぼくら救われた人の声を届けたい。

ぜったいに、すくってくれる先生に会える。

86586人に、北星余市卒業生達が、ガンガン話をしに行く仕組みができれば、北星余市は、生き残れるでしょう。

やるぞ。







東日本震災。あの時僕らは救いを求めて「他者貢献」させてもらいに、こぞって現地へ向かった。

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困っている人が目の前にいる。

そんな時、思わず手を貸すことが「できる」時もありますし、
無視して、その場を通り過ぎることもあると思います。

そして、手を貸すことができた時の方が、やっぱり後味が良いし、気持ちもすごく楽になる。

そうなんです。

どんなレベルでもいいから、「他者貢献」できること。
それが、自己受容に繋がるとぼくは思ってます。

他者貢献ができると、自分に、
「お前も生きていていいよ」
と言えます。

僕は不登校の時、

「おれは生きていていいのだろうか。。。」

という問いが頭から離れませんでした。

そして、

「お前は死んだ方がいいよ」

みたいな言葉を1日に数十回、自分に投げかけてました。

不登校してるだけなのですが、当時は不登校の子どもなんてほとんどいなかったし、自分ほど弱い人間はいない、と思っていたので、もう、この「死んだ方がいい」という感覚は頭から離れませんでした。

「学校」という、誰もが当たり前に所属しているものに、自分は乗れなかった。

これはつらかった。

そして、家に引きこもるわけですが、その家で何をするかというと、
飼っているネコ相手に、小さな「他者貢献」をしていました。

エサをあげたり、撫でたり、遊んであげたり。。。。

「あくび」という名前のネコだったのですが、

「あくびは僕のことを必要としてくれている」

と感じてました。

これは「救い」でした。

不登校の僕はネコ相手に「他者貢献」しないと、生きていけなかった。

それでなんとか保ってました。


東日本震災当時。

というか、現代の日本人は自己受容感覚がかなり低い気がします。

普段の生活の中で、満足な他者貢献ができずに、自己受容もできない。

そんな人々が今もですが、震災当時も多かったと思います。

そんな時に、震災が起きた。

人々は、「他者貢献」できる機会を見つけて、我先にと被災地に向かったように感じます。

そして、被災地に行けた人たちを羨ましく思ったり、「妬む」という感覚すらありました。

ボランティアは、「お金」を手にするわけではなく、「他者貢献」をしたことによる「貢献感」を手にできるのです。

自己受容できないでいる人が、救いを求めて被災地に向かった。

そういう構造があったと思います。

それはボランティアに行った全ての人に当てはまるわけではないと思います。
シールズの奥田愛基さんのお父さんの奥田知志さんも被災地支援してましたが、あの人の動きは、自分を救ってもらいに動いてるわけではないように感じました。

まあでも、奥田知志さんの本を見ると、本業のホームレス支援の中で「自分こそ救われている」とも書かれているので、奥田知志さんのようなスーパーな人ですら、他者貢献して救われているようなので、ほとんどの人が、そうなのかもしれないです。

なんにしても、あの東日本震災直後のあの感じ。

周りの友達なんかが、車で真っ先に現地に向かう、という話を聞いて、羨ましく感じたり、妬ましく感じたりする気持ちには、そんな心理構造があった気がします。

あと震災に関してもう一つ思うのは、寄附でもなんでもいいから、何かしらの「他者貢献」ができないと、自分にOKが出せなかった、当時のあの感覚。

被災地が大変なのに、何にもしない自分は人でなしだ。。。という何やら自分を責める感覚。

社会から無言の同調圧力のような、なんか被災地支援しなさい、と言われているような、錯覚。

被災地支援をしている人から「あなたは被災地に対して何かしてることはある?」と、何か聞かれているような、責められているような感覚。

逆に、被災地支援できてない者同士で「あなたは被災地に対して何かしてたりする?」と聞きあって、何もしてない仲間がいることを知ると安堵する、、、、みたいな感覚。

なんか、ありませんでしたか?

正直に話すと、僕の中に、こういう感覚、ありました。

東日本震災後、数ヶ月続いたあの感覚。

勝手に自分で作り上げていたものですが、あの感覚は今でも震災を思い出すとセットで思いかえされます。

震災は、
1、他者貢献できてる人を羨ましく思う感覚
2、被災地支援できない自分に焦る感覚

なんか、この2つが僕の中にありました。

なんにしても、

被災者は、自己受容できていなかった人達に、

「他者貢献の機会を与えてあげた」

そんなふうに思っても差し支えないと思います。

被災地支援できることによって、日本が少し元気になった。
そんな側面があったのではないでしょうか。


それと、今、現に、自己受容できていなくてつらい日々を送っている人。

そんな人は、ほぼ間違いなく、「他者貢献」の機会が無いです。


他者貢献、できてますか?