生きづらさをやさしさに変える くにい かつひろ

繊細すぎて苦しかったその生きづらさこそが、人を癒す力になったと感じてます。 くにいかつひろ

ドロップアウトという言葉、まだ生き残ってる?

 ドロップアウト、という言葉があります。

 最近は使われないでしょうか?

 僕が高校の頃はよく目にしてました。
 そして、自分たちを「ドロップアウト組」というような表現で言っていたりしました。
 これがすごく心地良かった(笑)
 
 なぜだろう。
 ドロップアウト組と言っているとき、別に卑屈にはなっていませんでした。
 完全に自分は「負け犬組」だと認識していたし、そう思われても全く構わないと思っていた。
 そして、むしろ、このドロップアウト組の中の方が居心地がいいし、この人たち、好きだ、と思っていた。
 なんか、ドロップアウトのこの状況が、世界の中心だ、と勝手に思っていました。

 話は変わって、僕が小学生の時、団地に住んでいました。そこには、雨風をしのげる建物があったので、ホームレスの人が数人暮らしていました。僕ら小学生は「ルンペン、ルンペン!」と差別用語全開で、からかっていた。
 志村けんにそっくりのホームレスがいて、その人のことを、本当におちょくっていた。
 BB弾のエアガンで狙い撃ちしたり、ダンボールハウスを蹴って全速力で逃げたり。
 この当時の行動は、ホームレス襲撃事件の延長線上の出来事です。
 僕の中にも間違いなくあった。ホームレスを差別する感覚が確実にあった。

 だけど、学校に行かなくなった時に、ホームレスという生き方が「自分の中にある」と感じました。
 普通の生き方を、普通にこなせない。我慢ができない。そうなると、僕の結末は志村けん似のホームレスだ。。。と。。。

 その後、高校2年くらいだったか、実家の近くの運動場で、ホームレスの人と仲良くなった。なにやら楽しげに話して、最後に、ウエハースをくれた。帰りながら、そのウエハースを食べると、ものすごく湿気っていて、一口で噛みきれなかった。包装紙を見ると、賞味期限も1ヶ月前。
 当時は「こんなものをくれたのか(笑)」と思わず噴き出して、内心嬉しくなっていましたが、今思い返すと、なんか泣ける。
 おっちゃんの笑顔がなんか忘れられない。

 僕が通っていた北星学園余市高等学校で、なんか通信がたしかあって、その中で、各先生が「道とは何か」という問いに答えを書いていたものがありました。その中でひとつだけ覚えているものがあって、それは、

 「外れてみると面白い」

 でした。


 改めて、良い学校だったなと、つくづく思う。

 道から外れる。



 引きこもり。

 
 その先にこそ、骨太な人生があるはずだ。
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先日買ったマッチの形のクッキー。

すごいな。