過去ブログ23 不登校の人がどんな恐怖を感じているか
僕は、「不登校新聞」 というものをとっています。不登校当事者が作っているもので、樹木希林さんとか、ジョジョの奇妙な物語の荒木飛呂彦さんのインタビューを掲載していたりと、とてもおもしろいです。
その中に、元ひきこもりの方の記事が掲載されていたのですが、すごく良かったんです。というか、昔の不登校の頃の自分がまさにフラッシュバックさせられた、という感じ。
その文章の中で、
「僕がもっとも恐れていたのは、「これからどうするのか」と「親はいつまでも生きていないぞ」という2つだった」
というものがありました。
まさに。
これは恐怖。
わかっているんです。
そんなことは。
でも、それを突きつけられることがどれだけ恐ろしいか。
だから、どんな手段に出るかというと、「逃げる」なんです。
家族なのに、親からそんなことばをかけられる危険性があるから、部屋のドアを開けに来るのではないかと、ビクビクしている。そして、足音が近づくことで心臓がばくばくする。生きた心地がしない。
息をひそめて、足音をきいてたりするんです。
そのくらい追い詰められている。
僕は電話の音が、じぶんに現実を突きつけにくるものだと勝手におもいこんでいたので、あの呼び出し音が恐怖でした。
外を歩いて、知り合いに会ったとして、「なにしてるの」とか聞かれた日には死にたくなります。
とにかく、「リアリティと向き合う」元気が全くなくなっているのです。
なので、どうしようもない。
だから、親は
「これからどうするんだ」とか「いつまでも親は生きてないぞ」と言うことというのは、崖っぷちに追い詰めることになるかもしれない、と知っておいて欲しいです。
あまりに崖っぷちに追い込んでしまうと、さらに逃げるか、家庭内暴力のような反逆にでる以外手段がなくなります。
自分の心を守るための行動なんです。でも、親が追い詰めなくても、自分でどんどん勝手に追い詰められていく人もいるとおもうので、一概には言えませんが、親の焦りは子を追い詰めるというのは、よくある状況でしょう。
だから、まずは自分の現実と向き合う元気を取り戻さなくてはいけない。
そのためにできることはなにか、ということについて、明日以降書いてみようと思います。
昨日、ブログ、かけませんでした。。。。
3週間目にして、1日書けなかったのが、非常に悔やまれますが、
この「リセットできない」というのが、リアル社会の魅力ですよね。
ゲーム好きで、完璧主義的な自分(これは不登校の人の特徴に多いはず。他者の自分の評価をリセットしたくて不登校)としては、この1日について自分をやたら責め立てるところがあります。
でも、できなかった自分とともに歩む。
それがいい。
だって、できなかったのだ。
もう、できなかった自分で生きてくしかない。
ということを最後に書いてみる。
糸井重里氏のほぼ日手帳的に、ほぼ日刊ということでいこうかな、という内なる声には耳を傾けず、今日からまた、毎日書きます。
というか、これ、楽しいんです。