東日本震災。あの時僕らは救いを求めて「他者貢献」させてもらいに、こぞって現地へ向かった。
そんな時、思わず手を貸すことが「できる」時もありますし、
無視して、その場を通り過ぎることもあると思います。
そして、手を貸すことができた時の方が、やっぱり後味が良いし、気持ちもすごく楽になる。
そうなんです。
どんなレベルでもいいから、「他者貢献」できること。
それが、自己受容に繋がるとぼくは思ってます。
他者貢献ができると、自分に、
「お前も生きていていいよ」
と言えます。
僕は不登校の時、
「おれは生きていていいのだろうか。。。」
という問いが頭から離れませんでした。
そして、
「お前は死んだ方がいいよ」
みたいな言葉を1日に数十回、自分に投げかけてました。
「学校」という、誰もが当たり前に所属しているものに、自分は乗れなかった。
これはつらかった。
そして、家に引きこもるわけですが、その家で何をするかというと、
飼っているネコ相手に、小さな「他者貢献」をしていました。
エサをあげたり、撫でたり、遊んであげたり。。。。
「あくび」という名前のネコだったのですが、
「あくびは僕のことを必要としてくれている」
と感じてました。
これは「救い」でした。
不登校の僕はネコ相手に「他者貢献」しないと、生きていけなかった。
それでなんとか保ってました。
東日本震災当時。
というか、現代の日本人は自己受容感覚がかなり低い気がします。
普段の生活の中で、満足な他者貢献ができずに、自己受容もできない。
そんな人々が今もですが、震災当時も多かったと思います。
そんな時に、震災が起きた。
人々は、「他者貢献」できる機会を見つけて、我先にと被災地に向かったように感じます。
そして、被災地に行けた人たちを羨ましく思ったり、「妬む」という感覚すらありました。
ボランティアは、「お金」を手にするわけではなく、「他者貢献」をしたことによる「貢献感」を手にできるのです。
自己受容できないでいる人が、救いを求めて被災地に向かった。
そういう構造があったと思います。
それはボランティアに行った全ての人に当てはまるわけではないと思います。
シールズの奥田愛基さんのお父さんの奥田知志さんも被災地支援してましたが、あの人の動きは、自分を救ってもらいに動いてるわけではないように感じました。
まあでも、奥田知志さんの本を見ると、本業のホームレス支援の中で「自分こそ救われている」とも書かれているので、奥田知志さんのようなスーパーな人ですら、他者貢献して救われているようなので、ほとんどの人が、そうなのかもしれないです。
なんにしても、あの東日本震災直後のあの感じ。
周りの友達なんかが、車で真っ先に現地に向かう、という話を聞いて、羨ましく感じたり、妬ましく感じたりする気持ちには、そんな心理構造があった気がします。
あと震災に関してもう一つ思うのは、寄附でもなんでもいいから、何かしらの「他者貢献」ができないと、自分にOKが出せなかった、当時のあの感覚。
被災地が大変なのに、何にもしない自分は人でなしだ。。。という何やら自分を責める感覚。
なんか、ありませんでしたか?
正直に話すと、僕の中に、こういう感覚、ありました。
東日本震災後、数ヶ月続いたあの感覚。
勝手に自分で作り上げていたものですが、あの感覚は今でも震災を思い出すとセットで思いかえされます。
震災は、
1、他者貢献できてる人を羨ましく思う感覚
2、被災地支援できない自分に焦る感覚
なんか、この2つが僕の中にありました。
なんにしても、
被災者は、自己受容できていなかった人達に、
「他者貢献の機会を与えてあげた」
そんなふうに思っても差し支えないと思います。
被災地支援できることによって、日本が少し元気になった。
そんな側面があったのではないでしょうか。
それと、今、現に、自己受容できていなくてつらい日々を送っている人。
そんな人は、ほぼ間違いなく、「他者貢献」の機会が無いです。
他者貢献、できてますか?