子ども会の会長は貧乏くじなのか、ドリームジャンボ宝くじなのか。
先ほど、地域の子ども会の総会があり参加してきました。
仕事帰りの道すがら、車内では中村文昭さんという方の講演会のCDを聴いてました。
ものすごく熱い内容で、とても感動。
中村さんの師匠さんがすごく熱い人だったらしく、その方の教えに、
「頼まれごとは、試されごと!」
というのがあったそうです。
誰かが自分に対して何か頼みごとをしてくれたときに、「いや、、、」とか「でも、、、、」とか言うな!、と。
できない、やれない、理由を探すな、と。
それは、試されているのだと。
喜んで引き受けて、期待を超えることやってみろ、と。
そうすれば、お前の人間力が上がる。人が助けてくれるようになる。
というようなことを言ってました。
それを聞き、
「そうだ!その通りだ!」
と胸が熱くなってました。
そして、そんな熱い心を胸に、子ども会の総会にたどり着きました。
事業報告、会計報告、と議事が進み、
みなさん最も嫌な時間、役員改選の時間になりました。
会計、副会長、と決まっていき、
会長は誰が、、、みたいな話になった時に、
「國井さんは、、、」
と振られました。
「いや〜〜〜〜〜〜、、、、」
とのけぞりながら、中村さんの言葉が脳裏をよぎる。
「頼まれごとは、試されごと」
・・・・・
心のなかでは、
『まじか〜〜〜、中村さん。まだ2年しかここにいないし、行事もまだ参加したことなくて、、いいのか?』
となりましたが、
「・・・わかりました」
と言いましたよ、中村さん。
・・・・これは、でもチャンスです。
今、日本中の自治会、子ども会が、存続の危機です。
僕が前に住んでいた神奈川の藤野というところでも、子どもがいないし、いても行事には参加せずで、成り立たなくなってました。
なら、やればいい。
僕がやればいい。
日本中の子どもたちを元気にするぞ!
と、意気込んでいましたが、
自分の地域の子どもたちを知らずして、何を言っているのかと。。。
という声も聞こえてきまして、これはチャンスだということにしました。
子ども合わせて13名とのこと。
みんなどんなふうに生きているのだろう。
どんな夢を持っているのか。
将来を暗く感じているのか。
僕が最近感じていることは、
「日本人の中でどれだけの人が主体的に生きることができているのだろう」
ということです。
自分で自分のことを決めて生きている、まさに僕がこれを選んでいる、と言い切れる人が日本の中にどれだけいるか。
僕もそうだし、大人もそうだし、子どももそう。
自分で道を切り拓いている人がどれだけいるか。
みんなと同じ道でも、自ら選んで、勧んでその道を歩んでいるのか。
はなはだ疑問。
「あの人に言われたから」
「親がやれって言ったから」
「みんなやってるから」
み〜〜〜んな、これではないか。
子ども会の活動って、子どもが幸せに生きていくためにやる地域の活動です。
でも、それに積極的に、主体的に関わる子どもっているのだろうか。
前にいたところでは、子ども会の最大イベント子ども神輿に、子どもが参加しなくなってきたので賞金(数千円)を出すようにして、こどもに出てもらう、ということになってましたが、それでも来ない子も多い。
これで家でゲームをやってる、とか聞くと、「最近の若いもんは!」と言いたくなるでしょうが、僕だって、行かないだろうな。
ようするに、地域の子どもの集まりに参加することに今の社会では意味を見出せないんです。
自分が今生きているこの地域と、そこにいる人との有機的な関わりの実感がないし、実感ないというかそもそも関わりなんてなくても生きていけるし、関わりは面倒を運んでくるだけで、必要性がない。
ここをそのまま
「昔ながらのものを残さなくては・・・」
では、難しい。
昔は、近隣の関係性が生きていく上で「必要」だったわけで、そのなかで貢献することが生きていく上で必須でしたし、1年の中で脳内興奮物質のドーパミンが最も分泌されるイベントが「祭り」だったわけです。
だから、Amazonで、安くどこでもなんでも手に入り、youtubeでは世界のトップアーティストのライブをほぼ無料で見放題、Google先生に聞けば大概の知識が手に入るような時代には、近隣の関係性が薄れていくなんて必然。
ようするに、近隣の人間たち、僕らが、子どもらに「必要とされてない」のです。
・・・・残念!
全くもって残念!(笑)
でも事実!
これ、事実です。
では、僕らは近隣の子どもたちから必要とされるにはどうすればいいのか。。。。
それに僕はなるぞ。
子ども会の会長として、シリコンバレーの企業たちに勝ってやる。
では、なにをやるか、、、
長くなったので、それは明日の20時にアップします。
それでは、また明日に書きます。