生きづらさをやさしさに変える くにい かつひろ

繊細すぎて苦しかったその生きづらさこそが、人を癒す力になったと感じてます。 くにいかつひろ

不登校がチャンス、という6つの理由


前回のブログで、不登校がチャンスになる理由を一つあげたけれども、

他にも理由が思いつく限りあげてみよう。

② 自分の弱さと向き合える

 これはいい。不登校なんて、自分に弱さを突きつけるようなものですからね。真の自分と向き合わざるを得ない。こんな厳しくも、大地に根を張れるチャンスってないとおもうな〜。

③ みんなと一緒。。。から抜け出せる

 これもポイント。みんなと一緒を目指す、という閉塞感から抜け出せるということ。
 みんなと一緒って、安心感と引き換えに、ものすごい窮屈感を伴うもので、しんどいのに、なかなか抜け出せない。
 でも、不登校はみんなと一緒ではいられなくなることです。安心感から引きずり落ちますが、すごく楽になる。
 だけど、これは不登校で苦しんでる最中には全く感じられないので、なんとも言えないですが、僕的に今思い返すと、みんなと違うことの幸せに気づけるきっかけになりました。

④ 本当の友人ができる

 これはすごいです。僕が不登校になってから、友達でいてくれた人、あるいは友達になってくれた人って、ものすごい深いところでつながれたな、と改めて思います。
 別に今までと遊び方も大して変わらないし、なにかいつもと違う言葉のやりとりがあるわけではないのだけれども、こちらは不登校です。
 相手はそれを百も承知で、付き合ってくれている。これは、ものすごいハードルを越えて友人になろうとしてくれてることです。
 そういう人ってほんとうにありがたい。
 友情感が太く深くなりやすいんです。不登校って。

⑤ 一般的な価値観から脱却できる

 みんなが普通に良いと思うものを、自分も良いと思うこと。それを無批判に受け入れていたところを不登校すると、社会の底辺あたりから眺めることができる。
 それって、自分特有の視点の獲得につながると感じます。
 ステレオタイプに染まらないで、自分の感性で世界とコンタクトしていくことが幸せにつながると思っています。不登校は、自分独自の感性に出会いやすいところにいけるので、やっぱりチャンスな気がします。

⑥ 人の痛みを知れる。人にやさしくなれる。

 不登校という傷を負うことで、傷を負う苦しさを知ってしまい、そうなると、人が苦しむ姿と自分が重なっちゃうので、素通りできなくなる。この共鳴感を僕は宝だと感じます。
 不登校することによって、僕は確実にやさしくなりました。
 不登校してる人は、やさしさを培ってるような、そんな気さえします。
 自分が傷つきたくなくて、他人を傷つけたくなくて、学校に行かなくなる。不登校にはそういう人種も多いです。

以上見てきただけでも、6点もある!

これは、すごい。

まさに人生を良くするチャンスだ。

プラス面ばかり書いてきたけど、
それとは逆の不登校によるデメリットって、実際にあります。

それを抜きにして不登校は語れない。

そこに目をつむっていたら、本当のチャンスはつかめない。そう感じます。

不登校ってやっぱりハイリスクだと思います。

そのリスクの中身を次回のブログで書きたいですね。

でも、すでに書きたいこと山積みで、文章に仕上げる時間が足りなくどうしたもんかですが、
次回は、不登校のリスクにしたいと思います。

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古〜い白いお皿に生の採ってきたばかりのアスパラ一本。
銀のフォーク。

これ、生で食べたのですが、甘くてうまくて衝撃的。