生きづらさをやさしさに変える くにい かつひろ

繊細すぎて苦しかったその生きづらさこそが、人を癒す力になったと感じてます。 くにいかつひろ

否定でもなく、肯定でもなく、受け容れるということ

今日から新学期を迎える人も多いと思います。

 

前回のブログで、18歳以下の自殺者数が、夏休み明けの9月1日に集中している、ということを書きました。

kuniikatsuhiro921.hatenablog.com

 

たくさんの方がリンクをシェアしてくださって、

239件のフェイスブックのリンクシェアをしてくださって、

ブログの記事は、800ビューを超えていました。

 

僕が今まで書いたブログの中で、最も多いビュー数でした。

 

不登校している子、学校が苦痛な子など、学校を取り巻く環境や集団、人間関係に苦しんでいる子どもたちが少しでも楽しく暮らしていけるように、

とにかくこの9月1日を乗り切ってもらいたい、と願っています。

 

自己肯定感、自己価値観、自己重要感、自尊感情、セルフイメージ、など、自分のことをどう感じるかということについて、様々な言葉があります。

 

僕は、その中でも、「自己受容が深まる」という言い方が、今のところしっくりきています。

「自己肯定感が高まる」や、「自尊心が高まる」というのも、良いのですが、やはり、高まったら、その後下がったりするイメージがあるし、悪い意味でのプライドが高まると捉えられなくもないし、ダメな自分を無理やり「肯定」する感も感じるなと思いました。

 

それよりも、「自己受容が深まる」がなんかいい。

 

どんどん高まっていく、というより、静かに深まっていくイメージ。

自分の弱さなども、見つめ、受け容れ、自分と統合されていくような感じ。

 

これが良いと今は感じてます。

 

自己受容を深めるのに、最も効果的なことは、自分のことを受け容れてくれる他者の近くに出来るだけ長くいる、ということだと思います。

そして、自分のダメな部分をその人たちの前で表現してみる。

言葉で伝えるでもいいし、文章でも絵でも良いと思う。

その上で、自分の存在を受け容れてもらえる経験を通して、

自己受容が少しずつ深まっていく、と思います。

 

もし、今、苦しんでいるとしたら、その苦しみを、身近な信頼できる人に、

「今、自分はこんな苦しみがあるんだ」と伝えてみてください。

 

誰もいなければ、僕にメールしてもらっても良いです。

921katsuhiro@gmail.com

 

今日という日を、子どもたち、なんとか乗り切ってください。

 

学校が苦しかったら、行かなくたっていいです。

行かない方がいい。

親や先生方も、学校に行かなくたって大丈夫、って思ってあげてください。

 

自分のことを否定するでもなく、肯定するでもなく、受け容れる。

 

自己受容を深めていきましょう。

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ちかくにあった紫陽花です。

9.1自殺(夏休み明け自殺)を、1人でも少なくする!


不登校新聞というものをとっているのですが、平成26年の自殺の統計について書かれていて、衝撃的な内容があったので、書きたいと思います。

 

内閣府が過去40年間の累計日別自殺者数を独自集計しています。その中で、18歳以下の子どもの自殺は、4月や、9月の休み明けに突出しています。中でも、9月は恐ろしい程突出しています。

 

【公開】子どもの自殺、夏休み明けに突出 / 不登校新聞

 

 

この図。

 

びっくりです。

 

ようするに、夏休み明けに、子どもたちが大量に自殺している。

 

この表を見るだけで、いろいろなことを感じます。

 

① 自殺未遂者や、「死にたい」と密かに考えている人も、夏休み明け前後に大量発生している。

 

この表の数字は、「自殺遂者」です。自殺を完遂できた人の数字のみ。

ですが、自殺既遂者は氷山の一角です。

その氷山の下の方には、

◎「自殺遂者」

◎「死にたい」と悶え苦しんでいる子

などもいます。

だから、この夏休み明け前後には、全国で、苦しんでいる子どもたちが大量に発生していると見ていいです。

 

② 「学校」という場と、自殺に深い関連性がある。

 

夏休み明け、ということは、「学校」なんです。

学校にまつわることで、自殺につながっている。

いじめがまた始まることを恐れてなのか、

勉強ができない自分を思い知ってしまうことを怖れてなのか、

先生を恐れてなのか、

部活を怖がってなのか、

学校にまつわる、「人」や、「集団」や、「他人の目や評価」などを恐怖に感じつつ、学校に行かないという選択肢を取ることができない。

プライドからなのか、親が許さないのか、世間が許さないのか、学校が許さないのか。

子どもにとって、人生のすべてのように感じる場「学校」。

そこが苦しい場である時に、「不登校」という選択肢がなくて、自殺をする人が多いようです。

何人もの精神科医や、カウンセラーの方が、「不登校できれば自殺せずにすんだ」というケースがあることを指摘しています。

いろんな生き方がある、ということを受け入れない日本の空気感。これが、学校を離れられないという子どもの精神状況を作り出し、追い詰めているのだと思います。

 

③ 夏休み明けというのは、不登校児の親が「このきっかけで再登校してくれるかも」という期待をかなりかける時期

 

夏休み明けは、不登校児にとっては地獄です。周りがざわざわと新たな生活を始めている中で、自分はなにも変わらない生活を送り続ける、なんてダメなんだという気持ちを感じてしまいます。とにかく「他者」や「世間一般」と自分を比較して、苦しみます。

そんな中、親や、周りも、この2学期から行けるのではないか、と期待をかけます。

この期待がさらに追い詰めるのです。

 

以上に見てきたように、子ども自殺について、夏休み明けが、最重要キーポイントのようです。

そして、自殺という究極の状況まで行かずとも、「もう死にたい」という言葉を心の中で唱えまくる子どもたちが大量発生するのです。

 

というか、今は8月15日。

 

北海道や寒冷地などでは、夏休みが終わり2学期が始まるのが、8月20日くらいなので、もう今頃、悶絶している子どもたちが増えてきていることと思います。

 

なんとかしてあげたい。

 

そこで、子ども達と、大人たちへ、メッセージを書きます。

 

子どもたちへ

今、本当に苦しいと思う。

とにかく生き延びて、そこに存在できていて、この文章を読んでいてくれたとしたら、

まずそれについて、「ありがとう」と言いたいです。

今感じている苦しみが、いつか必ず得難い財産のような時間に変わる時が来るはずです。

それを信じて、生きていってほしい。

そして、学校なんていうひとつのものさしによって、君の価値を測ることなんて絶対にできない。

君の存在をおとしめるような、学校、大人、友達、親、がいたとしても、そんなものはたったひとつの見方でしかない。

どうか、そことは別の外の世界に、自分の場所を見つけ出して欲しい。

違う学校。違う地域。違う人々に出会うことで、今までの自分の評価ってなんだったんだろうと、脱力すること請け合いです。

必ず君が輝ける、自分の命を燃やせる、楽しくてしょうがない場所があるはず。

今はその場や、人に出会えていないだけ。

とりあえず、学校なんて行かないでいいので、自分の気持ちを安定させて、その後新たな場に飛び立って欲しいと、僕は思ってます。

そして、君に、もし少しでも余裕があるなら、自分の周りにこのような苦しみにもがいている友人がいれば、その友人に、このメッセージを送ってあげてください。

 

大人たちへ

子どもたちは、学校で苦しみながら、その学校から逃れられない、と考えています。

そこを変えなくてはいけない。

そういう空気を僕らが率先して変えて、いかなくてはいけないと、僕は思ってます。

僕ら大人が作り出している「空気」が子どもたちを自殺に追い込んでいます。

ちゃんと勉強して、大学を卒業して、就職する。

このようなステレオタイプ的な、シンプルストーリーに、子どもたちを押し込めようとしている、僕らの感覚があります。

僕らが子どもたちを信じる必要がある。

そして、子ども達と一緒にこれからの社会を作っていこうとしなくてはいけない。

「正しさ」というハンマーで子どもの頭が出たところをモグラ叩きなんてしてないで、

出た頭を引っこ抜いて、「お前はおもろい!」と伝えて、がんがんやらせて失敗もさせる。そういう大人でありたい、と僕は思ってます。

大人のみなさんとも、これからの子どもたちを取り囲む空気をおもしろいものに変えていけるように、いろいろと話していきたいです。

 

 

この記事に少しでも、共感いただけたら、このブログ記事をフェイスブックでシェアしたり、知り合いに紹介していただけると、嬉しいです。

夏休み明けに伴う自殺者がひとりでも減りますように、と祈ってます。

 

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先日バーベキューをした時に、目の前に広がってた景色。

家から車で5分ですね。

最高でした。

育休とは、家族の再構築でした。我が家の事例。

ブログを始めたのが、今年の3月21日でした。その時は、ロリポタッチというブログサービスを利用していまして、その後、5月に入ってから、はてなブログも利用し始め、ロリポタッチと、はてなブログを併用してきましたが、ロリポタッチが7月末で終わる、ということで、3月21日から、5月に頭までの記事をはてなブログに移しました。

面倒でしたが、自分にとってすごく大切な文章だったということを改めて感じることができました。

さて、20日ぶりくらいになってしまいました、ブログの本更新です。

前回は、育休による家族の危機を、4点述べて、そのうち3点がどうだったか、ということについて書きました。
以下がその記事。

では、最後の4点目、
④ 今まで顕在化していなかった家庭の問題があぶり出され、表面化してくる

について、書きます。

我が家で顕在化していなかった家庭の問題は、

「父性が欠落していた」

ということです。

現代の日本は「母性社会」と言われています。

母性とは、受け入れて包み込む、という性質。

父性とは、切り分ける、切り離す、という性質です。

これは、父親だから父性を担当する、というものではなく、性別などは関係なく、状況に応じて、家族の中で、父性を母親が担当したり、母性を父親が担当したり、母親が父性も母性も担当したり、ということになったりします。

その両者がいい感じで均衡を保ち、バランスが取れてる状態が必要とのことです。

そんな中、現代の日本では、父性的な、切り分ける、突き放す、というような機能が極端に弱い、と多くの心理学者や社会学者が言っているようです。

それは、個人的な実感としても、なんとなくわかる。
① 今のお父さんたちは、自分も含めて、とりあえずやさしい。あまり叱らない。
② 周りの大人たちも、はめをはずしてる子どもを見つけても、叱ることは滅多になく、とがめられる子どもはそういない。
③ 虐待事件などの影響がある現在。しっかりと叱ることを、人前でやるということにかなりの抵抗感があり、家の外など人の目があるところではしっかり叱れない。
④ 最近の育児には、「きちんと子どもの気持ちを受け止めていれば、いけないことはやらなくなり、まっすぐ子どもは育つ」という神話的な感覚があると、僕は思っています。かなり独断と偏見ですが。

そうなると、いけないことをしてしまった時に、ガツンと叱られる経験がなかなかできない、ということになる。

我が家でもまさに、上記のような状況でした。

このような環境に置かれていた、我が娘たちにどのような様子が出ていたかというと、

1、叱られても、諦めず、親が根負けするまでぐずる。

2、ちょっと叱られるぐらいでは、行動が止まらない。

3、娘たちは無意識的に、「どこかに抜け道がある」と感じていて、駄々こねがすごい。

こうなると、親が相当イライラして、かなりの怒りパワーをぶつけることで、娘の行動を止めたりしていました。

これはお互いに疲弊しまくる結果になっていました。

育休期間中に、このバトルが何度も繰り広げられました。
幸い仕事がないので、翌日の心配をせずに話し合える、ということで、妻とどういうことなのかをしっかり話し合い、國井家のウィークポイントとも向き合っていこう、ということで、いろいろと本を調べたり、講演会の動画を見た結果、「父性の欠落」というところに行き着きました。

なにが問題だったかというと、

① 妻ばかり怒り役になっていた(僕がやさしい父役しかしていなく、妻が悪役になりがちだった)

② 親がダメだと言っていたのに、子どもに最終的にゆずることが多かった(例えば、「今日はお菓子無し」と宣言していたのに、娘がかなり荒れた時に、「じゃあ一個だけね」という形で折れることがあった)

この②をしていると、「〜〜はダメ」という親の言葉の効力がどんどんなくなり、親の言葉が無力化していってしまいます。

また、僕が子どもを受け容れることが得意すぎたために、妻が悪役になりがちで、非常に申し訳ないこともわかりました。

この、行き当たりばったりな対応を改めて、

1、父の僕が毅然として、ダメなことは叱る。

2、ダメ、と言ったことは、最後まで通す。というか、最後まで通せることだけ、ダメと宣言する。

3、暴力は、國井家では、ゆるさない。した場合は、1人、居室にいってもらう。

を決めました。

まず、はじめに勃発したのは、次女の「食べ物投げ」事件です。

その日の夕飯のメニューで食べたいものがなく、明らかに、ふてくされた食べ方でした。途中から、「なんか食べたい!」「こんなのいらない」とご飯を箸で持って、投げました。そこで、「食べ物をそんなふうに粗末にしたらいけないよ。次にやったら、今日のご飯はおしまい」と僕から伝えました。すると、3分ほどして、案の定また、ご飯を投げました。そこで、「ごはんはおしまい」と伝えると、他のものも投げ始めました。もうダメだ、「このままでは、一緒にいれないから、部屋に連れてくよ」と言い、居室に無言で抱えて連れて行きました。ポイントは、ここで、大きな声で叱る必要は全くない、ということです。(タイムアウト法、と言ったりします。これについては、いつか、、、書くかもしれません。)
散々、大泣きで暴れましたが、とりあえずほっておいて、部屋から、僕は出ましたが、3分ほどして、部屋からでてきて、また荒れ始めたので、「まだ一緒にはいれないね」と伝えて、部屋へ戻しました。
それを、もう2回ほど繰り返し。
そのあとは、もう落ち着いていて、しょんぼりとしていました。そこに、近づき、
「食べたいものがなくて、残念だったんだよな」と伝えると、頷きました。
「本当は食べ物を投げるのは悪いことだって知ってるもんね。嫌な気持ちだから、やっちゃったんだよね。」と話しました。「でも、それでごはん無しになるのはびっくりしたかい?」
頷く。
「うちでは、ごはんを投げたら、その日は食べられないよ。」
無言。
「でも、落ち着けたね。絵本読もうか」
笑顔で、本を取りに行く。

これでよかったかはわかりませんが、こんな感じでした。

その後、長女は、風呂入る入らないを大声でやりあう一悶着があったり、しましたが、同様に対応しました。

1ヶ月ほどで、娘たちのだだこねが激減しました。

これは、暴論で、炎上覚悟で書きますが、
いまの子どもたちでADHD(多動)と言われている子達の一部には、我が家と近い形で、駄々こねにより親に根勝ちしてきた子ども達が誤学習しているパターンが一定数いるのではないか、と推測しています。我が家は、かなりそんな感じでした。

長くなってしまいました。

このような形で、父性を取り戻そうとしてみた育休でした。

とりあえずうまくいったような形に見えますが、まだまだ試行錯誤です。

とにかく、妻は悪役にならず、子どもが妻に助けを求めに行きがちになったので、だいぶいいなと感じています。

育休によって、國井家の根本的な課題に向き合えたことは、非常にありがたかったです。

では、このへんで。
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埼玉の実家のあたり。

なはず。





過去ブログ28  子どもを見くびってはいけません

僕は幼稚園、小学生の頃から、高校を卒業するまで一貫して、「國井くんはやさしい」と言われ続けていました。

 

この評価は実は、「意図して獲得した」ものでした。

 

僕は、なぜか物心ついた頃から、自分が他者からどう思われているか、ということに非常に敏感でした。

 

その他者の評価が高ければ自分ってすごい、と思えたし、生きていける、と思っていました。

 

だから逆に評価が低いと、すごくつらくなったし、生きていけないと思っていたし、評価が下がるだろうなと感じる時には、もうこわくてしょうがなかったです。

 

だから「怒られる」とか、「期待に応えられない」とか、「がっかりされる」ということが恐怖でした。

 

そんな状況をとにかく避けるようになっていました。

 

そうすると、どのように対人関係で対処していたかというと、

 

1、相手が期待するようなことをして、人の機嫌をとる。

 

2、相手が嫌がることは極力しない。

 

3、相手が機嫌悪くなる状況を先に察知して、先に手を打つ。

 

この3点を徹底してやっていました。

 

それはもう、生きる手段だったわけで、懸命にその手段を使っていました。

 

すると、友人付き合いでは「くにいくんってやさしいね」という地位を得られるようになり、

大人からは、「くにいは物分りがいい」という評価を得られるようになりました。

 

これは自分の中では「成功体験」になりました。

 

この手法を使えば生きていける。

人から嫌われずに済む。

友達が去っていかないようになる。

 

そんなふうに考えていました。

 

アドラー心理学の中では、5歳から10歳くらいで、ある程度の人生のライフスタイルを選択する、と言っています。

 

僕の場合は、まさにこれでした。

 

無理をしてでも、「人にやさしく」して、嫌われないようにする。この生き方での成功体験の積み重ねによって、このライフスタイルを獲得していきました。

 

人にやさしくしていたのは、ある意味自然にできていたことではありました。

自分がひどく傷つきやすい性格だったため、

「こんなふうに言われたら嫌だろうな」

とか

「今の先生の一言で、あの子は結構傷ついてるだろうな」

というのがよくわかりました。

 

でも、自分がこの「人にやさしくする」ことで良い評価が得られるとわかってからは、意図して使っていたように思います。

 

しかも、その手法を使っていることがばれると、「なんか嫌な奴だ」と思われることもわかっていたので、その手法を、「さも自然とやっている」という形に見せるように尽くしていました。

 

それにその手法を他の人に使われると、「自分の地位が脅かされる」とも思っていたので、ばれないように必死だった気がします。

 

専売特許にしたくて、JASRACのように著作権保護だ、という感じでいた気がします。

 

かくして、この方法で、先生からも高めの評価がもらえながら生きていけて、怒られるという状況からも避けることができていきました。

 

それに伴い、「自分てけっこうすごいのかも」という勘違いが生まれるようになりました。

 

そして、怒られないように生きる、という生き方から、さらにすごいと思われる國井を獲得しようと考えるようになりました。

 

 

しかし、

 

・小学校5、6年生の担任として暴力教師が赴任してきた

 

・中学のサッカー部に入り、運動部ゆえに叱咤される環境に置かれることになる、

 

・中学でテストの成績が学年順位で出るようになる、

 

これらの状況から、どう頑張っても「怒られてしまう」という状況が生まれます。

 

それだけでなく、中学入学当時のテストの学年順位を維持するためには勉強の努力が必要になっていきました。

ですが、勉強自体が好きなわけではなかったので、だんだん順位を維持できなくなり、自分が思い描いていた自分の評価を維持できなくなっていきました。

 

そうして不登校につながっていきました。

 

当時は自分がどう見られているか、ということを異常に意識していたので、今思い返してもイタい自分だったと思います。

 

でも本当に真剣でしたから、痛々しい自分でした。

 

学校や、当時の友達関係の中で生きていけなくなる、ということは、僕にとって「死」を意味していたと言っても過言ではないです。

 

そして、学校に行かなくなったわけで、よく生き延びたなという感じですが、今にして思うと、こうやって鼻をへし折られる経験は必ず必要だっただろうなと思います。

 

 

話は逸れてしまいましたが、

 

僕は、意図して「人にやさしくする」という手段を使っていました。

 

しかも、友達や大人にばれないようにしていた。

 

今の子どもたちもきっと同じだと思う。

 

僕ら大人が考えている以上に、懸命にしたたかに生きている。

 

そして、僕らが触れることができない世界も持っている。

 

だから、そこを僕らは侵さずにいる必要がある。

 

それをひっくるめて、その子を受け容れられるか。

信頼できるか。

 

 

ということなのかな、と思ってます。

過去ブログ27  嫁、出産に伴い、主夫生活へ突入、、、してました

4月18日(土)14:15に第3子が生まれました。

 

初の男の子。

 

自宅出産でした。

 

産気づいたことがわかってから、娘2人と円陣を組んで、

 

「これから、おっかー、がんばって赤ちゃん産むから、みんなで協力して、応援しよう。」

 

と話をして、出産に備えました。

 

7歳と4歳の娘ですが、彼女らなりに、非常によくお手伝いをしてくれて、助かりました。

 

お茶を持ってきてくれたり、カーテンを閉めたり、タオルを持ってきてもらったり。

 

大活躍でした。

 

他者貢献全開でした。

 

娘たちにとっても、大きな経験だったと思います。

 

出産自体はとても安産で、

母子ともに、問題なく、健康にいっていることが何よりです。

 

それはいいのですが、

産後からが父親の本番といった感じで、

休む間も無く、家事と育児と嫁ケアに追われる日々で、ブログを更新できませんでした。

 

仕事に行っていた方がよほど楽(笑)

 

 

とにかく今日から、ようやくブログ執筆に復帰です。

 

 

明日は、自分の子ども時代について、少し振り返ってみよう。

 

「やさしい」と言われ続けた國井少年は、実はそれを「意識していた」「その手段を意図して使っていた」というかわいげナッシングな話を書いてみる。

 

ずっと公開せずにいた、自分の手の内を明かしてみる。

なぜそれを書くかというと、

 

・自分のリアリティを出した上で、みんなに僕のことを判断してもらいたい

 

ということと、

 

・子どもってかわいいだけでなく、こんなにずる賢く、したたかに生きている

 

ということを、自分の体験からあぶり出したい、と思ったからです。

 

大人は子どもを誤解している。

 

というかあなどっている。

 

いや、むしろ見くびっている。

 

 

子どもの方が、うわてな気がしてしまう。

 

 

では、また明日に。

過去ブログ26  「子どもが死ぬかもしれない」と想像してみる、、、というスキル

昨日、「アドバイスをしない」ということの難しさと必要性について書きました。

 

今日は、どうすればアドバイスをしないでいられるかということを書こうと思います。

 

これは、不登校の子どもに対してだけでなくて、子ども一般や家族関係や夫婦関係などのパートナーシップでも役に立ちそうな気がします。

 

多分。

 

 

では、はじめます。

 

まず、アドバイスをしたい、するべきだ、と考えてしまう自分がいることを知ってほしい。

相手は答えを知らないから、自分が答えを教えてあげようと思っている。

そんな自分の内心を自覚する必要がある。

 

答えは自分の中にはない。

 

答えは、「相手の中にある」。

 

たとえ、アドバイスが功を奏した時があったとしても、それは、自分が教えたからではなく、自分の言葉を媒介にして、相手が自らの答えを掘り出すことができた、ということだと僕は考えています。

 

だから、答えを教えてあげる、のではない。

 

相手の中の答えを、一緒に探す。のです。

 

この「一緒に探す」というスタンス。

これは、親御さんの中に常においていてほしい。

 

こどもも今の現状でいいとは決して思っていない。今はとにかく自分を脅かす状況から脱して、安全な場所にいることで、英気を養っているんだ、と親御さんには感じてもらいたい。

 

だから、本人がこれからの生き方を探していく過程を一緒に歩む、という感覚です。

 

一緒に歩んで、一緒に探す。

 

だから、親は答えを知らないのは当たり前。

 

 

・・・・・スキル・・・でした。

 

では、スキルです。

 

どうすれば不登校の子と一緒に歩めるか。

 

それには、アドラー心理学の「勇気づけ」というアプローチを使います。

 

具体的なスキルとしては、以前のブログで紹介した、「感謝」「感動」「共感」「喜び」を活用します。

 

でも、不登校、という状況。

 

家でなんにもしていない、不登校している我が子に、感謝とか、喜びなんて伝えようがない。

 

 

 

・・・・ここから暴論に入ります。

 

ある小学校で、放課後に児童が誤って足を滑らせてしまい、燃えさかる焼却炉に落ちてしまった、という非常に痛ましい事故がありました。

焼却炉の火が収まるのを待ち、中を調べると、焼け焦げてしまった児童が見つかりました。完全に焼けてしまっていて、どの子か判別できない。

そこで、学校の先生やPTAの役員が手分けをして、全校生の家一軒一軒に電話を入れたそうです。

 

先生「今、自宅に太郎くんはいますか?」

 

お母さん「多分、部屋に戻っていて漫画読んでると思いますけど、何かありましたか?」

 

先生からいきなり電話が来るので、なぜか、やっぱり気になり聞かれるそうです。そこで、

 

先生「実は先ほど学校の焼却炉に児童が転落してしまい・・・・・・・」

 

という事情を話します。

 

すると、「ええっ!!わかりました!すぐに見てきます!」

 

と言って、ものすごい勢いで階段を駆け上がり、2階にいる子どもを見つけると、思わず抱きつく。

 

そして、泣きながら受話器の元に戻り、「生きていました。」と無事を伝える。。。。

 

普段、勉強しない、宿題もしない、と口うるさく小言を言っていた、イライラさせられていた子どもに対しても、この時ばかりは、「生きててありがとう」と心の底から感じたのではないでしょうか。

 

そうです。

 

不登校だって、自己否定の嵐という、生死の境をくぐり抜けて、学校から抜け出して家にいてくれているかもしれないのです。

 

「今、ここにいてくれて、ありがとう」

 

と感じてください。

 

もしかしたら、本当に自殺の危険性があったかもしれないです。

それ以上に、現時点で自殺について本気で検討している、ということも考えられます。

 

 

なので、結論です。

 

 

「子どもが死んでいたかもしれない」

と思うこと。

それによって、感謝や喜びの言葉を伝えられる。

 

以前話した、「行為、doing」で見るのではなく、「存在、being」で子どもを捉える。

 

子どもの存在に感謝してください。

 

この存在に感謝する、存在を喜ぶ、という関わりを通して、子どもは、「存在、being」による「他者貢献」ができるようになります。それにより、勇気付けられる、ということです。

 

この感謝、喜ぶ、も、本当に感じていないと、子どもに伝わらないので、気をつけてください。

 

はじめはそれほど多くできない関わりかもしれませんが、ぜひ試してみてください。

 

子どもが死んでしまう、と思うと、アドバイスなんかしてられないでしょう。。。

 

・・・ちょっと暴論でしたかね。

過去ブログ25  アドバイスしない というスキル

昨日のブログで「不登校児の親は、不登校をしてる子どもに適切に関われるスキルを学ぶ必要がある」と書きました。

 

そこで、今日は、そのスキルをひとつ紹介します。

 

それは、「アドバイスをしない」というものです。

 

アドバイスをしない、ということがスキルなのか、と感じる方もいるかもしれませんが、僕はそれが技術だと思ってます。

 

普段の普通の会話の中で、相談を持ちかけられたり、落ち込んでいるところを見た時に、大概9割がたの人が、「アドバイス」をしているようにおもいます。

 

仕事でヘマをして上司に怒られてしまった、という人がいたら、「挽回できるように次こそは頑張ればいいんだよ」とか、「そんなに落ち込んでないで、忘れる忘れる!」だとか、「ミスをした原因の分析がまず必要だよ」など、本人に対して良かれと思うアドバイスを無意識のうちにしています。

 

これは、「落ち込んだ状態でいることに耐えられない」からアドバイスをしてしまう、という側面があります。カウンセラーと言われている人々は、ここがすごいです。落ち込んだ状態の相手の状況に、一緒に身を置くことができるのです。

 

アドバイスという手段で功を奏す場合もあります。

本人の気持ちに沿って、適切な的を得た答えを示してくれていたりすると、そのアドバイスが非常に有益になったりします。

 

ですが、当てずっぽうにアドバイスしている場合も多く、本人にとってあまりしっくりこない答えだったりすることも多いものです。

 

普段の会話の中でなら、このやりとりも普通ですが、不登校児の場合は、ちょっと受け取り方が変わります。

不登校児の場合、そういったアドバイスは大概「今のあなたはダメだから改めなさい」というメッセージになりがちです。本人がそう受け取る可能性が非常に高い。

 

また、アドバイスをするという行為は、上から下へという関係性の現れと捉えられるし、「自分のことを認めてない、変えようとしている」と感じさせてしまいます。

 

ですが、不登校児を見ていたら、一言物申さないと親がおちつけない、ということがあります。

 

でも、アドバイスは不登校児に対しては、本当に危険です。崖っぷちに追い込んでしまう可能性がある。

 

この危険性をしっかり認識していても、人との関わりでおこなってきた手法というのは、なかなか変えることができないもので、よほど意識していないと、まず、「アドバイス」をしてしまいます。

 

では、アドバイスをしないためには、どうすれば良いか、ということですが、それは他の手段を知り、それを使ってみて、使い勝手や結果を実感してみることです。それが自分にとってしっくりくるものであれば、その方法が徐々に自分の手段として馴染んできます。

そうなることで、ようやく自然とできるようになります。

 

では、他の手段ってどんなものがあるか、ということは明日以降書きます。